伊達宗成
表示
時代 | 江戸時代前期 |
---|---|
生誕 | 寛永13年(1636年) |
死没 | 寛文10年6月1日(1670年7月17日) |
別名 | 藤五郎、土佐、安房 |
戒名 | 奚仲院殿輪山了機大居士 |
墓所 | 大雄寺(宮城県亘理郡亘理町) |
主君 | 伊達忠宗→綱宗→綱村 |
藩 | 仙台藩 |
氏族 | 伊達氏 |
父母 | 父:伊達宗実、母:白河義綱の娘 |
兄弟 | 宗成、中島宗常、伊東重定、女子(伊達宗規室) |
妻 | 正室:伊達宗重の娘・清霄院 |
子 | 林之助、基実、虎乙(伊達実氏室) |
伊達 宗成(だて むねしげ)は、江戸時代前期の仙台藩一門第二席・亘理伊達家第3代当主。
生涯
[編集]寛永13年(1636年)、亘理伊達家第2代当主・伊達宗実の子として生まれる。
正保4年(1647年)に元服する。明暦3年(1657年)、伯父・忠宗に随行して将軍・徳川家綱に拝謁し、万治3年(1660年)には涌谷伊達宗重の娘を正室に迎えた。
寛文5年(1665年)に父・宗実の死去にともない家督を相続したが、この頃になると岳父・宗重と叔父・宗勝との争いが深刻化しつつあり(詳細は伊達騒動を参照)、寛文8年(1668年)6月に伊東重門が宗勝の暗殺を企てたとして改易されると、その後継として弟の宗定が伊東家の新当主に迎えられた(伊東重定)。
寛文10年(1670年)6月1日死去。享年35。嫡男の千代松(基実)が家督を相続した。
系譜
[編集]参考文献
[編集]- 『亘理町史』上巻(宮城県亘理郡亘理町、1975年)
- 『新地町史』歴史編(福島県相馬郡新地町、1999年)