コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

亘理郡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
宮城県亘理郡の範囲(1.亘理町 2.山元町)

亘理郡(わたりぐん)は、宮城県陸奥国磐城国)の

人口43,960人、面積138.18km²、人口密度318人/km²。(2024年10月1日、推計人口

以下の2町を含む。

郡域

[編集]

1878年明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記2町のほか岩沼市の一部(吹上・吹上西・阿武隈・大昭和など)を加えた区域にあたる。

人口

[編集]

現市町村界での国勢調査人口の推移(単位:人)を以下に示す[1][2]

  亘理郡

歴史

[編集]

古代は曰理郡と表記された。

近世以降の沿革

[編集]
  • 幕末の時点では陸奥国に所属し、全域が南方郡奉行亘理代官所(小堤村)管轄の仙台藩領であった。「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での村は以下の通り。若干の混交はあるが、本藩領1村(小山)、大條氏知行地2村余(坂元・真庭および高瀬のうち笠野浜・新浜)を除く23村の大部分が亘理伊達氏の知行地であった。
坂元本郷、小堤村、吉田村、長瀞村、八手庭村、大平村、小平村、鷲足村、山寺村、浅生原村[3]、高瀬村、真庭村、高須賀村、鹿島村、高屋村、鷺屋村、蕨村、榎袋村、神宮寺村、上郡村、下郡村、田沢村、十文字村、牛袋村、中泉村、小山村
宮城県第19大区(全8小区。亘理郡1~6・宇多郡)
小区 所属村
小1区 牛袋村、榎袋村、上郡村、下郡村、小山村、鷺屋村、十文字村、田沢村、中泉村
小2区 高須賀村、高屋村、蕨村
小3区 小堤村、鹿島村、神宮寺村
小4区 吉田村、長瀞村、八手庭村、大平村、小平村
小5区 鷲足村、山寺村、浅生原村、高瀬村
小6区 坂元本郷、真庭村
  • 明治7年(1874年)4月 - 区の再編により、伊具郡・宇多郡と共に宮城県第10大区となる。
宮城県第10大区(全14小区。伊具郡・宇多郡・亘理郡10~14)
小区 所属村
小10区 坂元本郷、真庭村(+宇多郡:福田村、真弓村、埒木崎村)
小11区 大平村、小平村、鷲足村、山寺村、浅生原村、高瀬村
小12区 小堤村、鹿島村、長瀞村、吉田村、八手庭村
小13区 牛袋村、上郡村、下郡村、小山村、神宮寺村、田沢村、中泉村
小14区 高須賀村、榎袋村、高屋村、鷺屋村、十文字村、蕨村
  • 明治9年(1876年)4月22日 - 磐前県の管轄となる。
  • 明治9年(1876年)8月21日 - 第2次府県統合により宮城県に復帰する。
  • 明治9年(1876年)11月 - 区の再編により、刈田郡柴田郡・伊具郡と共に宮城県第1大区となる。
宮城県第1大区(全9小区。刈田郡・柴田郡・伊具郡・亘理郡8~9)
小区 所属村
小8区 小堤村、長瀞村、吉田村、八手庭村、大平村、小平村、鷲足村、山寺村、浅生原村、高瀬村、真庭村、坂元本郷
小9区 高須賀村、牛袋村、榎袋村、鹿島村、高屋村、上郡村、下郡村、小山村、鷺屋村、十文字村、神宮寺村、田沢村、中泉村、蕨村
  • 明治11年(1878年)10月21日 - 郡区町村編制法の宮城県での施行により、行政区画としての亘理郡が発足。「伊具亘理郡役所」が伊具郡角田本郷に設置され、同郡とともに管轄。同日大区小区制を廃止。

町村制以降の沿革

[編集]
41.亘理町 42.坂元村 43.山下村 44.吉田村 45.逢隈村 46.荒浜村 (橙:亘理町 黄:山元町 緑:岩沼市。1 - 11は刈田郡 21 - 35は伊具郡
  • 明治22年(1889年4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足[4]。(1町5村)
    • 亘理町(小堤村が単独町制。現・亘理町)
    • 坂元村 ← 坂元本郷、真庭村(現・山元町)
    • 山下村 ← 八手庭村、大平村、小平村、鷲足村、山寺村、浅生原村、高瀬村(現・山元町)
    • 吉田村 ← 吉田村、長瀞村(現・亘理町)
    • 逢隈村 ← 牛袋村、榎袋村、鹿島村、高屋村、上郡村、下郡村、小山村、鷺屋村、十文字村、神宮寺村[5]、田沢村、中泉村、蕨村(現・亘理町)
    • 荒浜村(高須賀村が改称の上、単独村制。現・亘理町)
  • 明治27年(1894年)4月1日 - 郡制を施行。単独の亘理郡役所が亘理町に設置。
  • 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
  • 大正15年(1926年7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
  • 昭和10年(1935年)時点での当郡の面積は138.26平方km、人口は34,039人(男16,776人・女17,263人)[6]
  • 昭和18年(1943年4月29日 - 荒浜村が町制施行して荒浜町となる。(2町4村)
  • 昭和22年(1947年1月11日 - 逢隈村のうち阿武隈川北岸の部分(吹上地区[7]、2.44平方km)が名取郡岩沼町に編入。
  • 昭和30年(1955年2月1日 (2町)
    • 亘理町・荒浜町・吉田村・逢隈村が合併し、改めて亘理町が発足。
    • 山下村・坂元村が合併して山元町が発足。

変遷表

[編集]
自治体の変遷
明治22年以前 明治22年4月1日 明治22年 - 昭和29年 昭和30年 - 昭和39年 昭和40年 - 昭和64年 平成元年 - 現在 現在
小堤村 亘理町 亘理町 昭和30年2月1日
亘理町
亘理町 亘理町 亘理町
高須賀村 荒浜村 昭和18年4月29日
町制 荒浜町
吉田村 吉田村 吉田村
長瀞村
小山村 逢隈村 逢隈村
牛袋村
榎袋村
鹿島村
高屋村
上郡村
下郡村
鷺屋村
十文字村
神宮寺村
田沢村
蕨村
中泉村 その他
吹上
地区
昭和22年1月11日
名取郡岩沼町に編入
昭和30年11月1日
岩沼町
昭和46年4月1日
岩沼市
岩沼市 岩沼市
八手庭村 山下村 山下村 昭和30年2月1日
山元町
山元町 山元町 山元町
大平村
小平村
鷲足村
山寺村
浅生原村
高瀬村
坂元本郷 坂元村 坂元村
真庭村

行政

[編集]
伊具・亘理郡長
氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 斎藤喜平治
2 児玉氏精 明治16年(1883年)
3 武者伝二郎 明治16年(1883年)
4 山内信実 明治27年(1894年)3月31日 廃官
亘理郡長へ転任
亘理郡長
氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 山内信実 明治27年(1894年)4月1日 伊具・亘理郡長より転任
2 高岡松郎
3 高橋為清
4 半田卯内 明治34年(1901年)12月27日 明治41年(1908年)3月9日[8]
5 小倉信光 明治41年(1908年)3月9日[8]
6 伊地知靖臣
7 宮崎公男
8 卯埜正路
9 畑山四男美
10 古川為二
11 吉村十七夜月
12 佐藤真平
13 八谷サトシ[9]
14 小山喜寿
15 松山左助

脚注

[編集]
  1. ^ 平成17年国勢調査1次結果(宮城県)
  2. ^ 平成27年国勢調査人口等基本集計結果(確定値)(宮城県)
  3. ^ 江戸時代を通じて「浅生原」「麻生原」表記が併存
  4. ^ 町村の統合自体は前日の3月31日付で実施されている。(明治22年〈1889年〉2月9日付、宮城県令第8号)
  5. ^ 現・亘理町逢隈神宮寺
  6. ^ 昭和10年国勢調査による。国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能。
  7. ^ 逢隈村中泉のうち、法京・鯖土手・藤波西・丹後北・丹後南・根方道北・岩沼上下の各字
  8. ^ a b 『官報』第7408号、明治41年3月10日
  9. ^ 「サトシ」はりっしんべんに鬲

参考文献

[編集]
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 4 宮城県、角川書店、1979年12月1日。ISBN 4040010302 
  • 旧高旧領取調帳データベース
  • 『山元町誌』(宮城県亘理郡山元町、1971年)
  • 『亘理町史』下巻(宮城県亘理郡亘理町、1977年)