坂元村
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さかもとむら 坂元村 | |
---|---|
廃止日 | 1955年2月1日 |
廃止理由 |
新設合併 坂元村、山下村 → 山元町 |
現在の自治体 | 山元町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 東北地方 |
都道府県 | 宮城県 |
郡 | 亘理郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 27.82 km2. |
総人口 |
6,843人 (『宮城県町村合併誌』、1955年1月31日) |
隣接自治体 |
宮城県: 亘理郡:山下村 伊具郡:角田町、丸森町 福島県: 相馬郡:新地村 |
坂元村役場 | |
所在地 | 宮城県亘理郡坂元村字館下113-1 |
座標 | 北緯37度55分14秒 東経140度53分41秒 / 北緯37.92056度 東経140.89481度座標: 北緯37度55分14秒 東経140度53分41秒 / 北緯37.92056度 東経140.89481度 |
ウィキプロジェクト |
坂元村(さかもとむら)は、昭和30年(1955年)まで宮城県亘理郡の南部にあった村。現在の亘理郡山元町南部にあたる。
地理
[編集]- 山:大森山
- 河川:坂元川、戸花川
歴史
[編集]『和名類聚抄』に坂本郷とある。寛永総検地の結果をうけて行われた正保元年(1644年)の村割で、坂本郷は坂元本郷と真庭村の2か村に分割されたが、このとき「坂本本郷」では本の字が重複して紛らわしいので、「坂本」から「坂元」へと表記を改めたという[1]。
沿革
[編集]津波被害
[編集]- 昭和8年(1933年)3月3日 - 昭和三陸地震により、磯浜に波高3m90cmの津波が襲来する。死者・行方不明者こそゼロであったが、被害の合計は重軽傷者12人、全壊10戸、半壊12戸、浸水28戸(床上10戸・床下18戸)に及んだ[2]。この時の津波で被害を蒙った磯浜・中浜の両部落の海岸に大震災記念碑を建て、表面に「地震があったら津波の用心」と刻んだ。
行政
[編集]首長
[編集]- 歴代村長
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
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1 | 佐藤好二郎 | 明治22年(1889年)4月1日 | 明治40年(1907年)10月13日 | |
2 | 森安吉 | 明治40年(1907年)11月22日 | 大正4年(1915年)2月27日 | |
3 | 清野亀吉 | 大正4年(1915年)5月17日 | 昭和6年(1931年)7月15日 | |
4 | 丸山仙橘 | 昭和6年(1931年)7月24日 | 昭和10年(1935年)7月23日 | |
5 | 佐藤慶吉 | 昭和10年(1935年)7月24日 | 昭和12年(1937年)3月13日 | |
6 | 伊達宗康 | 昭和12年(1937年)5月21日 | 昭和16年(1941年)5月20日 | |
7 | 齋藤喜膳 | 昭和16年(1941年)5月21日 | 昭和21年(1946年)11月4日 | |
8 | 阿部武 | 昭和22年(1947年)4月15日 | 昭和23年(1948年)11月25日 | |
9 | 冨田佐吉 | 昭和23年(1948年)12月8日 | 昭和27年(1952年)11月5日 | |
10 | 青田泰平 | 昭和27年(1952年)11月15日 | 昭和30年(1955年)1月31日 |
地域
[編集]人口
[編集]1920年 | 4,001人 | |
1925年 | 4,335人 | |
1930年 | 4,691人 | |
1935年 | 4,899人 | |
1940年 | 4,819人 | |
1947年 | 6,803人 | |
1950年 | 6,843人 |
※国勢調査による
教育
[編集]- 坂元村立坂元小学校
- 坂元村立中浜小学校
- 坂元村立坂元中学校
交通
[編集]鉄道
[編集]道路
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『山元町誌』(宮城県亘理郡山元町、1971年)
- 『宮城県町村合併誌』(宮城県地方課、1958年)