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逢隈村 (宮城県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
おおくまむら
逢隈村
逢隈村界隈
逢隈村界隈
廃止日 1955年2月1日
廃止理由 新設合併
逢隈村、亘理町、荒浜町吉田村亘理町
現在の自治体 亘理町
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 東北地方
都道府県 宮城県
亘理郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 32.90 km2.
総人口 9,094
(『亘理町史』下巻、1955年1月31日)
隣接自治体 亘理郡亘理町荒浜町吉田村
名取郡岩沼町千貫村玉浦村
伊具郡角田町
逢隈村役場
所在地 宮城県亘理郡逢隈村田沢字浜道115
座標 北緯38度04分20秒 東経140度51分54秒 / 北緯38.07217度 東経140.86494度 / 38.07217; 140.86494 (逢隈村)座標: 北緯38度04分20秒 東経140度51分54秒 / 北緯38.07217度 東経140.86494度 / 38.07217; 140.86494 (逢隈村)
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逢隈村(おおくまむら)は、昭和30年(1955年)まで宮城県亘理郡の北部にあった村。現在の亘理郡亘理町逢隈地区にあたる。

地理

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歴史

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沿革

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  • 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制施行にともない、牛袋村、榎袋村、鹿島村、高屋村、上郡村、下郡村、小山村、鷺屋村、十文字村、神宮寺村、田沢村、中泉村及び蕨村の区域をもって、逢隈村が発足する。
  • 昭和22年(1947年)1月11日 - 阿武隈川北岸の吹上地区[1](2.44平方km)を名取郡岩沼町に編入する。
  • 昭和30年(1955年)2月1日 - 逢隈村、亘理町、荒浜町及び吉田村が合併し、亘理町が発足する。

行政

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首長

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  • 歴代村長
氏名 就任 退任 備考
1 斎藤多吉 明治22年(1889年)4月23日 明治30年(1897年)4月22日
2 伊藤龍之進 明治30年(1897年)4月25日 大正9年(1920年)5月17日
3 庄司久助 大正9年(1920年)5月18日 昭和3年(1928年)5月17日
4 松本健吉 昭和3年(1928年)6月6日 昭和6年(1931年)12月30日
5 伊藤仁一郎 昭和6年(1931年)12月31日 昭和14年(1939年)3月6日
6 玉田清 昭和14年(1939年)3月7日 昭和21年(1946年)11月4日
7 伊藤仁一郎 昭和22年(1947年)4月8日 昭和23年(1948年)4月7日 再任
8 安田伊織 昭和23年(1948年)6月1日 昭和25年(1950年)12月31日
9 伊藤仁一郎 昭和26年(1951年)2月10日 昭和30年(1955年)1月31日 三任

地域

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人口

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1920年 6,426人
1925年 6,730人
1930年 7,162人
1935年 7,380人
1940年 7,237人
1947年 8,942人
1950年 9,204人

国勢調査による

教育

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交通

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鉄道

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道路

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出身有名人

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脚注

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  1. ^ 逢隈村中泉のうち、法京・鯖土手・藤波西・丹後北・丹後南・根方道北・岩沼上下の各字

参考文献

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  • 『亘理町史』下巻(宮城県亘理郡亘理町、1977年)

関連項目

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