畑山四男美
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畑山四男美 はたやま しおみ | |
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愛国婦人会福岡県支部清算事務所『愛国婦人会福岡県支部記念誌』より | |
生年月日 | 1884年7月13日 |
出生地 |
日本 高知県安芸郡羽根村 (現・高知県室戸市) |
没年月日 | 1971年8月8日(87歳没) |
出身校 | 東京帝国大学法科大学法律学科(独法)卒業 |
前職 | 北海道庁土木部長 |
称号 |
正四位 勲三等 |
在任期間 | 1939年1月 - 1946年5月 |
在任期間 | 1934年10月26日 - 1937年11月 |
在任期間 | 1933年7月21日 - 1934年10月26日 |
畑山 四男美(はたやま しおみ、1884年〈明治17年〉7月13日[1] - 1971年〈昭和46年〉8月8日[1])は、日本の内務官僚、政治家、弁護士。県知事、福岡市長。位階は正四位[2]。勲等は勲三等[2]。
経歴
[編集]高知県安芸郡羽根村(現室戸市羽根町)で、畑山亀喜代、岩の四男として生まれる[1]。第四高等学校を経て、1915年(大正4年)、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。同年10月、文官高等試験行政科試験に合格。1916年(大正5年)、内務省に入り宮城県属となる。
以後、宮城県亘理郡長、佐賀県・岩手県・長野県の各理事官、岐阜県書記官、熊本県書記官・学務部長[3]、鹿児島県書記官・警察部長、同内務部長、大分県書記官・内務部長、北海道庁部長・土木部長などを歴任。
1933年(昭和8年)7月21日、福島県知事に就任[4]。1934年(昭和9年)10月26日、福島県知事を退任し、福岡県知事に転任した[4]。1937年(昭和12年)11月、同県知事を辞し退官した。その後、東京市教育局長を経て、1939年(昭和14年)1月から1946年(昭和21年)5月まで福岡市長を務めた[2]。その後、公職追放となった[5]。墓所は多磨霊園[6]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
- 『高知県人名事典 新版』高知新聞社、1999年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
公職 | ||
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先代 河内卯兵衛 |
福岡市長 第15-16代:1939 - 1946 |
次代 三好弥六 |