岩重隆治
岩重 隆治(いわしげ りゅうじ、1895年(明治28年)6月21日[1] - 1975年(昭和50年)3月10日)は、大正後期から昭和期の内務官僚、警察官僚、弁護士。陸軍司政長官、最後の官選福岡県知事。
経歴
[編集]山口県出身。岩重弥七の長男として生まれる[2]。小倉中学校(現福岡県立小倉高等学校)を経て[3]、第三高等学校を卒業[4]。1921年(大正10年)11月、高等試験行政科試験に合格。1922年(大正11年)東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。内務省に入省し長野県属兼警部となる[1][2][4]。
以後、鹿児島県警察部保安課長、福岡県警察部保安課長、同警務課長、岡山県警察部特別高等課長、愛知県警察部特別高等課長、岡山県学務課長、同社寺課長、兵庫県商工課長、同水産課長、同地方課長、千葉県書記官・学務部長、京都府書記官・学務部長、青森県書記官・経済部長、三重県書記官・総務部長[5]などを歴任[1][2]。
1942年(昭和17年)7月7日、陸軍司政長官に発令され[6]、同年8月15日、第16軍軍政監部付・バニュマス州長官に就任し終戦を迎えた[2][7]。
1947年(昭和22年)3月14日、最後の官選福岡県知事に就任。県議会議員選挙、知事選挙などを執行した[1]。同年4月12日に依願免本官となり退官[3][8]。陸軍司政長官の経歴により公職追放となる[9]。その後、東京で弁護士として活動[1][3]。海外日系人協会理事長も務めた[10]。1969年春の叙勲で勲二等瑞宝章受章[10]。1975年3月10日死去、79歳[10]。死没日をもって従四位に叙され、さらに正四位に位一級追陞、銀杯一組を賜った[11]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e 『日本の歴代知事 第3巻 下』62頁。
- ^ a b c d 『人事興信録 第14版 上』イ261頁。
- ^ a b c 『ふるさと人物記』419頁。
- ^ a b 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』229頁。
- ^ 『官報』第4201号、昭和16年1月10日。
- ^ 『官報』第4647号、昭和17年7月8日。
- ^ 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』139頁。
- ^ 『官報』第6074号、昭和22年4月16日。
- ^ 『公職追放に関する覚書該当者名簿』「一般該当者名簿」193頁。
- ^ a b c 伊藤一男『アメリカ春秋八十年』PMC出版、1982年、321頁。
- ^ 『官報』第14481号、昭和50年4月11日号、12頁。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
- 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年。
- ふるさと人物記刊行会編『ふるさと人物記』夕刊フクニチ新聞社、1956年。
- 歴代知事編纂会編『日本の歴代知事 第3巻 下』歴代知事編纂会、1982年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。