伏見宮邦道親王
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伏見宮邦道親王 | |
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伏見宮 | |
続柄 | |
称号 | 後桂昌院 |
身位 | 親王 |
敬称 | 殿下 |
出生 |
寛永18年(1641年) |
死去 |
承応3年7月20日(1654年9月1日) |
父親 | 伏見宮貞清親王 |
母親 | 家女房(小納言局・安藤定子(貞致親王と同母?)) |
役職 | 大宰帥 |
サイン |
伏見宮邦道親王(ふしみのみや くにみちしんのう)は、江戸時代初期の皇族。世襲親王家の伏見宮第12代当主。父は伏見宮第10代当主の貞清親王。
慶安2年(1649年)に親王宣下。慶安4年(1651年)に元服し、同年11月13日には下記の口宣案を受け、大宰帥に任官する。
大宰帥の辞令
[編集]伏見宮邦道親王 大宰帥の辞令(口宣案)(「伏見宮代々位記宣旨類」)
上卿 姉小路中納言 慶安四年十一月十三日 宣旨 無品親王邦道 宜任太宰帥 藏人頭右大辨藤原俊廣奉
(訓読文)
上卿 姉小路中納言(姉小路公景従二位権中納言) 慶安4年(1651年)11月13日宣旨 無品親王邦道(伏見宮) 宜しく太宰帥に任ずべし 蔵人頭右大弁藤原俊廣(坊城俊広、従四位上)奉(うけたまは)る
参考文献
[編集]- 『伏見宮実録 第8巻 貞清親王実録/邦尚親王実録/邦道親王実録/貞致親王実録』ゆまに書房、2015年10月。