伴野喜四郎
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伴野 喜四郎(ともの きしろう、1882年(明治15年)2月15日[1] - 1953年(昭和28年)3月30日[要出典])は、日本の裁判官、検察官。
経歴
[編集]長野県南佐久郡野沢町(現在の佐久市)出身[1]。1908年(明治41年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業し[2]、司法官試補となる[1]。東京区裁判所予備検事、水戸区裁判所検事、土浦区裁判所検事、水戸区裁判所検事、東京地方裁判所検事、甲府地方裁判所検事、台湾総督府法院覆審部長、同上告部判官、台北地方法院院長、高等法院検察官長を経て、1937年(昭和12年)からは高等法院長を務めた[2]。
栄典
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c 帝国法曹大観 1915, p. 239.
- ^ a b 人事興信録 1943, p. ト之部 友(吉)伴(田、野)朝(永、長)巴(上)豐(泉) ト五八.
- ^ 『官報』第3101号「叙任及辞令」1937年5月8日。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第14版(下)』人事興信所、1943年。
- 『帝国法曹大観』帝国法曹大観編纂会、1915年。