住友健人
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徳島県立鳴門高等学校硬式野球部 コーチ | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 徳島県鳴門市 |
生年月日 | 1974年10月29日(50歳) |
身長 体重 |
178 cm 74 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 内野手 |
プロ入り | 1992年 ドラフト2位 |
初出場 | 1999年6月1日 |
最終出場 | 1999年7月22日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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コーチ歴 | |
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この表について
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住友 健人(すみとも はやと、1974年10月29日 - )は、徳島県鳴門市[1]出身の元プロ野球選手(内野手)。
来歴・人物
[編集]小学2年の時に野球を始め、中学では四国大会で優勝し、全国大会でベスト8になる[1]。鳴門高時代は1年次は1学年上の福田信一らと投手も務めた。3年夏の県大会ベスト4、走攻守の3拍子そろった大型内野手として四国では有名な選手であった。
1992年、プロ野球ドラフト会議においてヤクルトスワローズから2位指名を受け入団[1]。
入団後は、打撃面で伸び悩み一軍出場が得られなかったが、7年目の1999年に一軍公式戦に初出場を含む6試合に出場。しかし、同年限りで現役を引退した[1]。
2007年に、ヤクルト時代の同僚である広永益隆が総監督を務める社会人野球・クラブチームのアークバリアドリームクラブに内野手兼コーチとして入団。翌2008年はコーチ専任となり、その後退部した。
その後、広永が監督を務める中学硬式野球・ヤングリーグの徳島レイダースにコーチとして在籍しながら、2010年以降、四国放送ラジオの四国アイランドリーグplus中継に解説者としても登場している。
2014年3月に学生野球資格を回復[2]。現在は母校・徳島県立鳴門高等学校で硬式野球部のコーチを務め、守備や走塁を指導している[3]。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1999 | ヤクルト | 6 | 9 | 9 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
通算:1年 | 6 | 9 | 9 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
記録
[編集]- 初出場:1999年6月1日、対広島東洋カープ7回戦(山形県野球場)、9回表に宮出隆自の代打として出場
- 初打席:同上、9回表に澤崎俊和の前に空振り三振
- 初先発出場:1999年6月8日、対横浜ベイスターズ10回戦(横浜スタジアム)、8番・二塁手として先発出場
背番号
[編集]- 36 (1993年 - 1999年)
脚注
[編集]- ^ a b c d プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、302ページ
- ^ “学生野球資格回復に関する規則 第4条による認定者”. 公益財団法人 日本学生野球協会. 2022年3月7日閲覧。
- ^ “センバツへの道・鳴門:/中 初戦敗退当日に新チーム始動 悔しさ糧に猛練習 /徳島”. 毎日新聞. (2022年2月10日) 2022年3月7日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 住友健人 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)