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住吉正

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
住吉 正
生誕 1893年2月10日
大日本帝国の旗 大日本帝国 広島県
死没 (1976-03-24) 1976年3月24日(83歳没)
日本の旗 日本
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1914 - 1945
最終階級 陸軍少将
指揮 第17軍司令部付(砲兵司令官
戦闘 第二次世界大戦
*ガダルカナル島の戦い
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住吉 正(すみよし ただし、1893年明治26年)2月10日[1][2] - 1976年昭和51年)3月24日[1][注 1])は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍少将

経歴

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広島県[1][2][3]吉舎町[要出典]出身。広島陸軍地方幼年学校中央幼年学校を経て、1914年大正3年)5月、陸軍士官学校(26期)を卒業し[2]、同年12月、砲兵少尉に任官し野戦砲兵第11連隊付となる[1][4]陸軍砲工学校高等科で学び、1923年(大正12年)11月、陸軍大学校(35期)を卒業した[1][2][3]

参謀本部員、陸軍重砲兵学校教官、陸軍省軍務局課員、留守第3師団参謀気球連隊練習部長などを経て、1938年(昭和13年)3月、砲兵大佐に進級し野戦重砲兵第3連隊長となり日中戦争に出征した[1][2][3]関東軍砲兵司令部員、重砲兵学校幹事などを歴任し、1941年(昭和16年)3月、陸軍少将に昇進した[1][3]

太平洋戦争を第3砲兵団長として迎えた[2]1942年(昭和17年)9月、第17軍司令部付(砲兵司令官)となり[1][2][3]東ニューギニアガダルカナル島に転戦[2]東部軍司令部付を経て、1943年(昭和18年)10月、予備役に編入されたが、1944年(昭和19年)6月、召集を受け東部軍砲兵隊長を務め、1945年(昭和20年)10月、召集解除となった[1]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]

脚注

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注釈

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  1. ^ 『日本陸軍将官辞典』405頁では3月25日。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i 『日本陸海軍総合事典』第2版、88頁。
  2. ^ a b c d e f g h 『日本陸軍将官辞典』405頁。
  3. ^ a b c d e 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』357頁。
  4. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』348、357頁。
  5. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」139頁。

参考文献

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  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。