佐々政次
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時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 大永2年(1522年)? |
死没 | 永禄3年5月19日(1560年6月12日) |
別名 | 隼人正(通称)、成吉、勝通 |
主君 | 織田信秀→織田信長 |
氏族 | 佐々氏(近江源氏) |
父母 | 父:成宗(盛政とも) |
兄弟 | 政次、孫介、成政、長穐?、信宗、丹羽氏次室、山田重国室、前野吉康室(佐々直勝の母) |
子 | 清蔵 |
佐々 政次(さっさ まさつぐ)は、戦国時代の武将。織田氏の家臣。尾張国井関城主。佐々成政の長兄。通称は隼人正。諱は「政次」で通っているが、文書上の裏付けはない。系図には「成吉」「勝通」ともある。
略歴
[編集]天文8年(1539年)8月、織田信秀に仕える。同11年(1542年)三河国小豆坂の戦いで弟・孫介と共に功名し[1]、小豆坂七本槍に数えられる[2]。
永禄3年(1560年)、桶狭間の戦いの序盤に、織田信長が善照寺砦に到着したのを見て、千秋季忠と共に今川義元軍に攻撃をかけ討死した[3]。
なお、長男の清蔵は織田信忠に仕え、成政の娘輝子を娶るが、本能寺の変で討死した。