佐々木喜太郎
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佐々木 喜太郎(ささき きたろう[1]、1836年(天保7年) - 1890年(明治23年)6月27日[2])は、日本の商人、実業家[1]、青森県北津軽郡五所川原村の素封家[2]。族籍は青森県平民[3]。
人物
[編集]代々「布屋三之助」を名乗り、屋号を「布三」としたが、喜太郎の代に佐々木姓を名乗る[1]。酒造業を営み、米穀取引、小国(外が浜町蟹田)・今泉の鉄山経営などを手掛ける[1]。土地投資にも乗り出す[1]。直接国税総納額は、1890年出版の『帝国議会議員選挙者名鑑』によると「2262円2銭」である[3]。住所は青森県北津軽郡五所川原村[3](現五所川原市)。
家族
[編集]2代目喜太郎は1906年没[2]。3代目喜太郎は1923年没[2]。嘉太郎は分家して一家を創立する[4]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e 中泊偉人伝人ものがたり22 - 23頁。2021年12月28日閲覧。
- ^ a b c d 『青森県人名録』204頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年12月28日閲覧。
- ^ a b c 『帝国議会議員選挙者名鑑』第二編 貴族院多額納税者46頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年12月28日閲覧。
- ^ 『人事興信録 第4版』さ26頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年12月28日閲覧。
参考文献
[編集]- 後藤本馬編『帝国議会議員選挙者名鑑』金松堂、1890年。
- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 東奥日報社編『青森県人名録』東奥日報社、1933年。