北津軽郡
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人口31,329人、面積304.65km²、人口密度103人/km²。(2024年10月1日、推計人口)
以下の3町を含む。
郡域
[編集]1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、概ね以下の区域にあたる。
歴史
[編集]郡発足までの沿革
[編集]- 館野越村、下萢村、滝井村、大俵村、高増村、常海橋村、夕顔関村、三宅村、五林平村、中泉村、瀬良沢村、牡丹森村、柏木村、横萢村、松倉村、梅田村、沢田村、板屋野木村、福野田村、立木村、灰沼村、三千石村、宮内村、種田村、赤田村、石野村、野中村、野添村、五幾形村、狐森村、沖村、境村、前萢村、五町目村[1]、胡桃館村、中野村、山道村、欠落林村、小幡村、竹田村、大性村、菖蒲川村、笹森村、鶴泊村、鶴田村、亀田村、強巻村、大巻村、隠里村、大開村、玉川村、七ツ館村、広田村、岡田村、真黒屋敷村、姥萢村、湊村、半田村、五所川原村、喰川村、平井村、柏原村、長橋村、二本柳村、唐笠柳村、石岡村、吹畑村、漆川村、沖飯詰村、桜田村、新宮村、種井村、川山村、田川村、川元村、赤堀村、高瀬村、鶴ヶ岡村、藻川村、成戸村、下石川村、高野村、持子沢村、原子村、前田野目村、鞠野沢村、羽野木沢村、俵元村、豊成村、福山村、野里村、神山村、浅井村、飯詰村、朝日沢村、壱野坪村、独鼻村、石畑村、富川村、太刀打村、桃崎村、米田村、末広村、富升村、水野尾村、松野木村、福岡村、下新里村、若山村、金山村、天神村、川代田村、平町村、戸沢村、石田坂村、下岩崎村、毘沙門村、下毘沙門村、長富村、中柏木村、嘉瀬村、小栗崎村、小田川村、喜良市村、野崎村、金木村、川倉村、蒔田村、神原村、豊島村、富野村、芦野村、田茂木村、福井村、長泥村、豊岡村、川内村、福浦村、今岡村、芦部村、藤枝村、大沢内村、宮川村、久米田村、中里村、八幡村、深郷田村、高根村、薄市村、尾別村、相内村、太田村、今泉村、船岡村、磯松村、唐皮村、脇元村、板割沢村、小泊村、宮野沢村
- 明治4年
- 明治初年(154村)
- 下萢村・沢田村が廃村。
- 下毘沙門村が毘沙門村に合併。
- 船岡村が廃村となり、八幡村に吸収。
- 唐皮村が廃村となり、磯松村に吸収。
- 明治9年(1876年)(一部は推定)(109村)
- 松倉村が横萢村に、立木村が福野田村に、宮内村・種田村が三千石村に、野添村が野中村に、前萢村・五町目村が境村に、竹田村が小幡村に、笹森村が菖蒲川村に、亀田村が鶴田村に、大開村・玉川村が妙堂崎村に、半田村が湊村に、喰川村・平井村・柏原村が五所川原村に、二本柳村が石岡村に、川元村・赤堀村が田川村に、成戸村が藻川村に、鞠野沢村が前田野目村に、朝日沢村が飯詰村に、独鼻村・石畑村が壱野坪村に、富川村・桃崎村が太刀打村に、末広村・富升村が米田村に、福岡村・下新里村・若山村が松野木村に、天神村・川代田村が金山村に、平町村・石田坂村が戸沢村に、小栗崎村が嘉瀬村に、小田川村・野崎村が喜良市村に、福井村が鶴ヶ岡村に、川内村が豊岡村に、今岡村が福浦村に、芦部村が藤枝村に、久米田村が大沢内村に、板割沢村が相内村にそれぞれ合併。
- 真黒屋敷村が岡田村を合併のうえ改称して稲実村となる。
郡発足以降の沿革
[編集]- 明治11年(1878年)
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の各村が発足。(23村)
- 五所川原村(単独村制。現・五所川原市)
- 梅沢村 ← 横萢村、瀬良沢村、沖村(現・鶴田町)、梅田村、中泉村(現・五所川原市)
- 板屋野木村 ← 板屋野木村、灰沼村、福野田村、三千石村、赤田村、欠落林村、小幡村(現・板柳町)
- 鶴田村 ← 鶴田村、強巻村、大巻村、大性村、菖蒲川村、鶴泊村(現・鶴田町)
- 中川村 ← 川山村、田川村、新宮村、長橋村、種井村、沖飯詰村、桜田村(現・五所川原市)
- 七和村 ← 原子村、高野村、持子沢村、前田野目村、羽野木沢村、俵元村(現・五所川原市)、下石川村(現・青森市)
- 松島村 ← 金山村、太刀打村、米田村、壱野坪村、石岡村、吹畑村、漆川村、唐笠柳村、水野尾村(現・五所川原市)
- 嘉瀬村 ← 嘉瀬村、毘沙門村、長富村、中柏木村(現・五所川原市)
- 金木村 ← 金木村、蒔田村、神原村、川倉村、藤枝村(現・五所川原市)
- 中里村 ← 中里村、深郷田村、八幡村、大沢内村、宮野沢村、宮川村(現・中泊町)
- 相内村 ← 相内村、太田村(現・五所川原市)
- 小泊村(単独村制。現・中泊町)
- 小阿弥村 ← 柏木村、高増村、大俵村、牡丹森村、狐森村、五幾形村(現・板柳町)
- 沿川村 ← 常海橋村、五林平村、夕顔関村、館野越村、滝井村(現・板柳町)
- 六郷村 ← 胡桃館村、境村、中野村、山道村(現・鶴田町)、石野村、野中村(現・板柳町)
- 栄村 ← 広田村、稲実村、七ツ館村、姥萢村、湊村(現・五所川原市)
- 三好村 ← 鶴ヶ岡村、藻川村、高瀬村(現・五所川原市)
- 長橋村 ← 野里村、神山村、松野木村、戸沢村、豊成村、福山村、浅井村(現・五所川原市)
- 飯詰村 ← 飯詰村、下岩崎村(現・五所川原市)
- 喜良市村(単独村制。現・五所川原市)
- 武田村 ← 富野村、豊島村、豊岡村、福浦村、芦野村、田茂木村、長泥村(現・中泊町)
- 内潟村 ← 薄市村、尾別村、高根村、今泉村(現・中泊町)
- 脇元村 ← 脇元村、磯松村(現・五所川原市)
- 明治24年(1891年)4月1日 - 郡制を施行。
- 明治28年(1895年)3月27日 - 板屋野木村が改称して板柳村となる。
- 明治31年(1898年)7月1日 - 五所川原村が町制施行して五所川原町となる。(1町22村)
- 大正9年(1920年)
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和16年(1941年)
- 昭和17年(1942年)7月1日 - 「北津軽地方事務所」が五所川原町に設置され、本郡を管轄。
- 昭和29年(1954年)10月1日 - 五所川原町・長橋村・飯詰村・栄村・松島村・中川村・三好村が合併して五所川原市が発足し、郡より離脱。(4町12村)
- 昭和30年(1955年)
- 昭和31年(1956年)
- 昭和33年(1958年)4月1日 - 鶴田町の一部(石野・野中)が板柳町に編入。
- 平成17年(2005年)3月28日(3町)
- 金木町・市浦村が五所川原市と合併し、改めて五所川原市が発足、郡より離脱。
- 中里町・小泊村が合併して中泊町が発足。
変遷表
[編集]自治体の変遷
明治22年以前 | 明治22年4月1日 | 明治22年 - 明治45年 | 大正元年 - 昭和19年 | 昭和20年 - 昭和63年 | 平成元年 - 現在 | 現在 |
---|---|---|---|---|---|---|
板屋野木村 | 明治28年3月27日 改称 板柳村 |
大正9年4月1日 町制 |
昭和30年3月10日 板柳町 |
板柳町 | 板柳町 | |
沿川村 | 沿川村 | 沿川村 | ||||
小阿弥村 | 小阿弥村 | 小阿弥村 | ||||
南津軽郡 畑岡村 |
南津軽郡 畑岡村 |
南津軽郡 畑岡村 | ||||
鶴田村 | 鶴田村 | 昭和16年10月1日 町制 |
昭和30年3月1日 鶴田町 昭和31年11月1日 (梅田、中泉)を 五所川原市に編入 |
鶴田町 | 鶴田町 | |
六郷村 | 六郷村 | 六郷村 | ||||
梅沢村 | 梅沢村 | 梅沢村 | ||||
西津軽郡 水元村 |
西津軽郡 水元村 |
西津軽郡 水元村 | ||||
七和村 | 七和村 | 七和村 | 昭和31年9月30日 南津軽郡 浪岡町に編入 (下石川) |
平成17年4月1日 青森市の一部 |
青森市 | |
昭和31年9月30日 五所川原市に編入 (下石川以外) |
平成17年3月28日 五所川原市 |
五所川原市 | ||||
五所川原村 | 明治31年7月1日 町制 |
五所川原町 | 昭和29年10月1日 五所川原市 | |||
長橋村 | 長橋村 | 長橋村 | ||||
飯詰村 | 飯詰村 | 飯詰村 | ||||
栄村 | 栄村 | 栄村 | ||||
松島村 | 松島村 | 松島村 | ||||
中川村 | 中川村 | 中川村 | ||||
三好村 | 三好村 | 三好村 | ||||
嘉瀬村 | 嘉瀬村 | 嘉瀬村 | 昭和30年3月1日 五所川原市に編入 (毘沙門) | |||
昭和30年3月1日 金木町 (嘉瀬、中柏木、長富) 昭和31年8月10日 長富を五所川原市に編入 | ||||||
金木村 | 金木村 | 大正9年2月11日 町制 |
昭和30年3月1日 金木町 | |||
喜良市村 | 喜良市村 | 喜良市村 | ||||
脇元村 | 脇元村 | 脇元村 | 昭和30年3月31日 市浦村 | |||
相内村 | 相内村 | 相内村 | ||||
西津軽郡 十三村 |
西津軽郡 十三村 |
西津軽郡 十三村 | ||||
中里村 | 中里村 | 昭和16年9月10日 町制 |
昭和30年3月1日 中里町 |
平成17年3月28日 中泊町 |
中泊町 | |
武田村 | 武田村 | 武田村 | ||||
内潟村 | 内潟村 | 内潟村 | ||||
小泊村 | 小泊村 | 小泊村 | 小泊村 |
行政
[編集]- 歴代郡長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 工藤行幹 | 明治11年(1878年)10月30日 | 明治18年(1885年)4月 | [2] |
2 | 対馬定紀 | 明治18年(1885年)4月 | 明治19年(1886年)3月 | [2] |
3 | 菊池九郎 | 明治19年(1886年)3月 | 明治19年(1886年)9月 | [2] |
4 | 工藤行幹 | 明治19年(1886年)9月 | 明治21年(1888年)3月 | 再任・西津軽郡長兼任[2] |
心得 | 対馬貞太郎 | 明治21年(1888年)3月 | 明治21年(1888年)12月 | 郡書記[2] |
5 | 杉山龍江 | 明治21年(1888年)12月 | 明治23年(1890年)11月 | [2] |
心得 | 荒井粛 | 明治23年(1890年)11月 | 明治24年(1891年)2月 | 郡書記[2] |
6 | 対馬貞太郎 | 明治24年(1891年)2月 | 明治30年(1897年)11月 | [2] |
7 | 黒田剛 | 明治30年(1897年)11月 | 明治31年(1898年)7月 | [2] |
8 | 関準造 | 明治31年(1898年)9月 | 明治32年(1899年)4月 | [2] |
9 | 丸瀬正課 | 明治32年(1899年)4月 | 明治41年(1908年)12月 | [2] |
10 | 大沢文男 | 明治41年(1908年)12月 | 明治42年(1909年)9月1日 | [2]在任中に死去[3] |
11 | 樋口兵次郎 | 明治42年(1909年)9月 | [2] | |
長尾義連 | ||||
大正15年(1926年)6月30日 | 郡役所廃止により、廃官 |
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 2 青森県、角川書店、1985年12月1日。ISBN 4040010205。
- 旧高旧領取調帳データベース
- 大植四郎 編『国民過去帳 明治之巻』尚古房、1935年 。
関連項目
[編集]先代 津軽郡 |
行政区の変遷 1878年 - |
次代 (現存) |