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佐世保市立大野小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
佐世保市立大野小学校
地図北緯33度12分39秒 東経129度43分32秒 / 北緯33.21075度 東経129.72561度 / 33.21075; 129.72561座標: 北緯33度12分39秒 東経129度43分32秒 / 北緯33.21075度 東経129.72561度 / 33.21075; 129.72561
過去の名称 第五大学区第四中学区下等大野小学校
公立中等大野小学校
尋常大野小学校
大野尋常小学校
大野尋常高等小学校
大野国民学校
国公私立の別 公立学校
設置者 佐世保市
校訓 熱、愛、誠
設立年月日 1874年(明治7年)7月1日
創立記念日 7月1日
共学・別学 男女共学
学期 2学期制
学校コード B142210000625 ウィキデータを編集
所在地 857-0103
長崎県佐世保市原分町1番地
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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佐世保市立大野小学校(させぼしりつ おおのしょうがっこう)は、長崎県佐世保市原分町(はるぶんちょう)にある公立小学校

概要

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佐世保市中北部の大野地域にある小学校。児童数は703名(特別支援学級の21名を含む、学級数は29、2021年度)。46校ある佐世保市立小学校の中では児童数が2番目に多い[1]2014年(平成26年)に創立140周年を迎えた。
校訓
「熱、愛、誠」- 校歌の歌詞に使われている言葉が校訓となった。
校章
鏡(八稜鏡)との花弁を背景にして校名の「大野」(縦書き)と「サセ」の文字を置いている[2]
校歌
1931年(昭和6年)制定。作詞は野口雨情、作曲は藤井清水による。歌詞は3番まであり、1番に校名の「大野」が登場する[2]

沿革

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  • 1874年(明治7年)7月1日 - 松浦郡大野村原分觸の西蓮寺の一室を借用し「大野小学校」が創立された。
  • 1875年(明治8年)2月 - 「第五大学区第四中学区[3] 下等大野小学校」となった。児童数は32(男子のみ)であった。
  • 1880年(明治13年)- 「公立中等大野小学校」に改称した。女児を対象に裁縫科を設置した。
  • 1886年(明治19年)9月 - 小学校令の施行により、尋常科(修業年限4年)を設置の上、「尋常大野小学校」に改称した。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、北松浦郡大野村立の小学校となった。
  • 1892年(明治25年)- 「大野尋常小学校」に改称した(「尋常」の位置が変更された)。
  • 1894年(明治27年)- 高等科を併置の上、「大野尋常高等小学校」に改称した。
  • 1908年(明治41年)
    • 4月 - 小学校令の改正により、義務教育年限(尋常科の修業年限)が4年から6年に延長された。
      • 旧高等科1年を尋常科5年に、旧高等科2年を尋常科6年に、旧高等科3年を高等科1年に、旧高等科4年を高等科2年に振り替えた。
    • この年 - 大野農業補習学校が併設された。
  • 1915年(大正4年)- 併設の農業補習学校が、農業科以外の学科を加え「大野実業補習学校」となった。
  • 1920年(大正9年)- 佐世保軽便鉄道相浦・柚木間が開通した(小学校下の自転車道路は軽便鉄道線路跡)。
  • 1929年(昭和4年)- 校旗を制定した。
  • 1931年(昭和6年)7月22日 - 校歌を制定した。
  • 1935年(昭和10年)- 青年学校令の施行により、併設の大野実業補習学校が「大野青年学校」となった。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「大野国民学校」と改称した。尋常科を初等科に改めた。二宮金次郎像を建立した。
  • 1942年(昭和17年)5月27日 - 大野村が佐世保市と合併したため、佐世保市立の国民学校となった。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)により「佐世保市立大野小学校」(現在名)となった。
  • 1948年(昭和23年)- 脱脂粉乳による給食を開始した。
  • 1959年(昭和34年)- 創立記念日を7月1日に制定した。
  • 1968年(昭和43年)- 児童数が歴代最高の1,941名(47学級)を記録した。
  • 1969年(昭和44年)- 校区がかわった。泉福寺1組・2組・3組(2から5年生の210名)が春日小学校に移った[4]
  • 1971年(昭和46年)- 校区がかわった。瀬戸越町(170名)が春日小学校に移った[4]
  • 1972年(昭和47年)- 柚木炭鉱北松炭田)の閉山にともない、1971-72年にかけ、約450名が転校した[4]
  • 1973年(昭和48年)- 天心寮が柚木に移り、約30名が柚木小学校に移った[4]
  • 1974年(昭和49年)7月1日 - 創立100周年を迎えた。記念事業としてタイムカプセルを埋設した。
  • 1985年(昭和60年)- 2葉の門標(「佐世保市立大野小学校」・「明治七年七月創立、明治八年校名第五大学区第四中学区下等大野小学校」)を設置した。
  • 2004年(平成16年)4月1日 - 2学期制を導入した。

教育方針

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憲法・教育基本法の精神並びに長崎県・佐世保市の教育方針に基づき、地域と児童の実態をふまえ、特色ある学校づくりを推進し、知・徳・体の調和がとれた、人間性豊かな、心身ともに健康な児童を育成する[5]

学校行事

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行事案内[6]

通学区域

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・佐世保市

矢峰町(やみねちょう)、松原町(まつばらちょう)、原分町(はるぶんちょう)、松瀬町(まつせちょう)、知見寺町(ちけんじちょう)、大野町(おおのちょう)、田原町(たばるちょう)、楠木町(くすのきちょう)[7]

進学先中学校

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佐世保市立大野中学校

交通

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最寄りの鉄道駅
最寄りのバス停
最寄りの幹線道路

周辺の主な施設

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脚注

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  1. ^ 大野小学校”. ガッコム. 2022年1月7日閲覧。
  2. ^ a b 校章・校歌”. 大野小学校ホームページ. 2022年1月7日閲覧。
  3. ^ 1873年(明治6年)時点で長崎県(第五大学区に属する)の第一中学区は長崎区(長崎市および周辺)、第二中学区は旧大村藩、第三中学区は旧島原藩、第四中学区は旧平戸藩(壱岐・対馬を含む)、第五大学区は旧福江藩。その後、第二中学区が旧島原藩、第三中学区が旧大村藩に変更となった。
  4. ^ a b c d 学校沿革”. 大野小学校ホームページ. 2022年1月7日閲覧。
  5. ^ 学校経営方針”. 大野小学校ホームページ. 2022年1月7日閲覧。
  6. ^ 行事カレンダー”. 大野小学校ホームページ. 2022年1月7日閲覧。
  7. ^ 佐世保市通学区域”. 佐世保市役所. 2022年1月7日閲覧。

参考資料

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  • 「佐世保市史 教育篇」(1982年(昭和57年)5月20日発行, 佐世保市 市史編さん室)
  • 「大野 佐世保市立大野小学校百二十周年記念誌」(1994年(平成6年)11月発行)

関連項目

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外部リンク

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