佐伯夕利子
佐伯 夕利子(さえき ゆりこ、1973年10月6日-)は、日本のサッカー指導者。福岡県出身(イラン・テヘラン生まれ)。日本大学鶴ヶ丘高等学校卒業。
経歴
[編集]1973年、イラン・テヘランに生まれる。小学校時代を福岡県で過ごし[1]、小学2年生の時にサッカーを始める[2]。ちなみに小学校の同窓生に新庄剛志がいる[3][4]。その後、航空会社勤務の父親の転勤に伴い、台湾、スペインと住まいを転々とする。
スペインに移住した1992年、スペイン語習得を兼ねて現地のサッカークラブに入団。翌1993年には、指導者の道に進むため、現地のサッカー指導者スクールに入る。ちなみに、その時同じスクールの1年先輩だったのが幸谷秀巳(元アルテ高崎監督)である。
1995年、スペインサッカー協会公認NIVEL I、NIVEL IIを相次いで取得。レアル・マドリードの下部組織など、ジュニア・ユース世代の指導を担当する。
また、西澤明訓がRCDエスパニョールに移籍した際や、レアル・マドリード、サッカースペイン代表が来日した際の通訳、J SKY SPORTS(現J SPORTS)で放送されていたリーガ・エスパニョーラ中継のコーディネーターを務めたことがある。
2003年、日本人および女性として初めてNIVEL III(JFAのS級ライセンスに相当)を取得。同年、リーガ・エスパニョーラ3部「プエルタ・ボニータ」の監督に就任する。リーガ・エスパニョーラのトップチームの監督に就任した日本人および女性も彼女が初めてである。
2004年、アトレティコ・マドリード女子Bチームの監督に就任。その後、女子トップチームのスカウティング・育成部門、女子Cチーム育成副部長を担当。
2007年、バレンシアCFトップチームのセクレタリーに就任したが、2008年4月に解任される。
2008年9月よりビジャレアルCFの育成部スタッフとなる。2009年8月からはユースAチームコーチングスタッフアシスタントとなる。
スペインでは、指導現場の傍ら、スペイン遠征やサッカー留学等をコーディネートするスポーツ・ビジネス会社“OFFICE25"を経営。 スペイン及び日本においてサッカークリニック、講演会、専門誌へのコラム寄稿、試合の実況解説なども務める。
2018年3月、Jリーグを運営する(公社)日本プロサッカーリーグの特任理事(非常勤)に選任される[5]。2020年3月、(公社)日本プロサッカーリーグの常勤理事となり、スペインを離れ日本に帰国することになった[6][7]。
日本では「JFAこころのプロジェクト 夢先生」の肩書も持つ。
書籍
[編集]- 情熱とサッカーボールを抱きしめて(湯川カナ著、フィールドワイ)ISBN 4901722611
脚注
[編集]- ^ “Jリーグ理事に就任、佐伯夕利子がビジャレアルで得たものとは?”. テレビドガッチ (2020年11月1日). 2021年12月7日閲覧。
- ^ 島沢優子 (2021年3月9日). “スペイン初「日本女性サッカー監督」怒涛の人生”. 東洋経済オンライン. 2021年12月7日閲覧。
- ^ 佐伯夕利子 [@puerta0] (2021年12月6日). "小学生の頃、スポーツ抜群で憧れていた男子は、これまで「こんなに負けず嫌いな人は見たことがない」というくらい異次元の負けず嫌いだった。". X(旧Twitter)より2021年12月7日閲覧。
- ^ “Jリーグの女性常勤理事は新庄剛志ビッグボスの同窓生だった「『異次元の負けず嫌い』君」 スペイン3部で監督も務めた佐伯夕利子さん”. 東京中日スポーツ (2021年12月7日). 2021年12月7日閲覧。
- ^ 『理事・監事、特任理事選任の件』(プレスリリース)日本プロサッカーリーグ、2018年3月27日 。2020年3月12日閲覧。
- ^ 『理事・監事、特任理事選任の件』(プレスリリース)日本プロサッカーリーグ、2020年3月12日 。2020年3月12日閲覧。
- ^ 『理事選任にあたってのコメント』(プレスリリース)日本プロサッカーリーグ、2020年3月12日 。2020年3月12日閲覧。
関連項目
[編集]- ソル・スポーツマネージメント - 所属マネジメント会社
外部リンク
[編集]- 佐伯夕利子オフィシャルブログ「PUERTA CERO」 - Ameba Blog
- 佐伯夕利子 (@puerta0) - X(旧Twitter)
- プロフィール
- 佐伯夕利子