佐治直影
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佐治 直影(さじ なおかげ、1896年(明治29年)7月4日[1][2] - 1944年(昭和19年)7月27日[1][2][3])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将(没後特進)。功四級[3]。
経歴
[編集]佐治市五郎、操の長男として高知県安芸郡奈半利村(現在の奈半利町)に生まれる[2]。広島陸軍幼年学校を経て[2]、1918年(大正7年)5月、陸軍士官学校第30期卒業[4]。同年12月に陸軍騎兵少尉に任官する[4]。
歩兵第30連隊附としてシベリア出兵に従軍[2]。帰朝後は、新潟県立糸魚川中学校で教鞭を執ったのち、同連隊中隊長に任じ、1931年(昭和6年)中国北東部に駐屯する[2]。1933年(昭和8年)帰還すると陸軍士官学校附、同教官を務めたのち、1937年(昭和12年)陸軍大学校専科第4期卒業[2]。参謀本部勤務兼中支方面軍参謀部附、第2軍参謀、第11軍参謀を経て[2]、1941年(昭和16年)8月に陸軍機甲整備学校研究部主事となり、1942年(昭和17年)8月に陸軍騎兵大佐に進み、騎兵第71連隊長に発令され、翌月、機動歩兵第1連隊長に任じられる[3]。
ついで、1944年(昭和19年)5月に第39師団参謀長に任官し、同年7月27日、湖北省江陵県候家湾付近[2]で戦死[1][3]。陸軍少将に没後特進した[1][2][3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。
- 『高知県人名事典 新版』高知新聞社、1999年。ISBN 4875032854。