佐竹義知
表示
時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
---|---|
生誕 | 天明7年7月16日(1787年8月28日) |
死没 | 文政4年7月11日(1821年8月8日) |
改名 | 徳丸・亀丸(幼名)、義知 |
戒名 | 諦応道説 |
墓所 | 東京都板橋区小豆沢の総泉寺 |
官位 | 従五位下・壱岐守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家斉 |
藩 | 出羽岩崎藩主 |
氏族 | 佐竹氏 |
父母 | 父:佐竹義祇、母:松平親盈の娘 |
妻 | 松平頼亮の娘・都子 |
子 |
貞、熊姫ら4女 養子:義純 |
佐竹 義知(さたけ よしちか)は、江戸時代中期から後期にかけての大名。出羽岩崎藩5代藩主。佐竹壱岐守家5代当主。官位は従五位下・壱岐守。
略歴
[編集]4代藩主・佐竹義祇の長男。母は能見松平親盈の娘。幼名は徳丸、亀丸。
寛政5年(1793年)11月14日、義祇の死去により家督を相続した。享和2年(1802年)10月1日、11代将軍・徳川家斉に御目見する。同年12月16日、従五位下・壱岐守に叙任する。文化8年(1811年)、駿府加番を命じられる。本家の久保田藩主で幼君であった佐竹義厚をよく補佐した。画の才能にも優れた。
文政4年(1821年)7月11日、35歳で死去し、跡を養子の義純が継いだ。法号は諦応道説。墓所は東京都板橋区小豆沢の総泉寺。
系譜
[編集]子女は4女
父母
正室
- 都子 - 松平頼亮の娘
側室
- 岩井氏
子女
養子