松平親盈
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時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
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生誕 | 享保11年9月15日(1726年10月10日) |
死没 | 寛政12年12月26日(1801年2月9日) |
改名 | 千之助(幼名)→親盈 |
戒名 | 寛量院 |
墓所 | 京都府京都市右京区花園の妙心寺聖沢院 |
官位 | 従五位下、市正、対馬守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 豊後国杵築藩主 |
氏族 | 能見松平家 |
父母 | 父:松平親純、母:浅井氏 |
兄弟 | 親盈、親章、関政富正室 |
妻 | 正室:永井直陳の娘 |
子 | 親貞、親賢、親宝(3男)、親安(4男)、親清(6男)、親長(7男)、清子(牧野康陛正室)、娘(佐竹義祇継室)、娘(木下利彪正室)、娘(小笠原長禎正室)、娘(松平勝政正室)、娘(最上義明正室) |
松平 親盈(まつだいら ちかみつ)は、豊後杵築藩の第5代藩主。能見松平家11代。
略伝
[編集]第4代藩主・松平親純の長男。元文4年(1739年)、父の死去により家督を継ぐ。藩財政を再建するために銀札を発行し、倹約令を出したが、宝暦年間に凶作が相次いだため、効果はほとんどなく、むしろ藩財政は悪化していった。明和4年(1767年)8月14日、長男の親貞に家督を譲って隠居し、寛政12年(1800年)12月26日に75歳で死去した。