コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

永井直陳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
永井 直陳
永井直陳像
時代 江戸時代中期
生誕 元禄11年(1698年
死没 宝暦12年11月26日1763年1月9日
改名 主馬(通称)、直陳
別名 尚英(別名)
戒名 機雲観忠賢覚院
墓所 東京都中野区上高田の功運寺
官位 従五位下伊豆守伊賀守
幕府 江戸幕府
武蔵国岩槻藩主→美濃国加納藩
氏族 永井氏
父母 父:永井直敬、母:永井尚右の娘
養父:永井尚平
兄弟 尚品尚平直陳尚方内藤頼由
正室:松平信庸の娘、継室:加藤嘉矩の娘
尚俶尚志、娘(小笠原信胤正室のち松平近輝正室のち大久保忠烈正室)、娘(松平親盈正室)、
養子:尚備
テンプレートを表示

永井 直陳(ながい なおのぶ)は、武蔵岩槻藩の第3代藩主。のちに美濃加納藩の初代藩主。尚庸系永井家4代。

略伝

[編集]

元禄11年(1698年)、武蔵岩槻藩の初代藩主・永井直敬の三男として生まれた。正徳元年(1711年)の父の死去により、家督は兄の尚平が継ぎ、直陳は1500石を分与された。正徳4年(1714年)に兄が死去したため、その養子として家督を継承した。継承の際、1千五百石は収公された。同年12月28日に従五位下、伊豆守に叙任された。享保15年(1730年)には伊賀守に転任した。1739年、奏者番に任じられた。その他、生涯に大阪加番を八度も務めた。

宝暦6年(1756年)5月21日、武蔵岩槻藩から美濃加納藩に移封された。長男の尚俶、次男の尚志がいずれも早世していたため、宝暦12年(1762年)8月2日に甥で義理の婿養子の尚備に家督を譲って隠居し、同年11月26日に死去した。享年65。


系譜

[編集]

父母

正室

子女

養子

脚注

[編集]
  1. ^ 直敬の叔父
  2. ^ 父の直敬の最初の正室とは兄弟。
  3. ^ 実弟