松平近輝
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 享保15年7月9日(1730年8月22日) |
死没 | 宝暦7年5月9日(1757年6月25日) |
改名 | 多一郎(幼名)→近輝 |
戒名 | 成覚院 |
官位 | 従五位下、式部少輔 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家重 |
藩 | 広瀬藩 |
氏族 | 越前松平家 |
父母 | 父:松平近明、母:千寿院 |
兄弟 | 近輝、近哲、近貞、渡辺信綱正室 |
妻 |
正室:久姫(永井直陳の娘)(のち離縁) 継室:安姫(有馬一準の娘) |
子 | 養子:近貞 |
松平 近輝(まつだいら ちかてる)は、出雲広瀬藩の第5代藩主。直政系越前松平家広瀬藩分家5代。
経歴
[編集]第4代藩主・松平近明の長男。母は側室・千寿院。
寛延2年(1749年)、父の隠居により家督を継いだが、特に藩政に見るところもなく、宝暦7年(1757年)5月9日に江戸で死去した。娘しかいなかったため、家督は弟の近貞が継いだ。法号は成覚院。