松平近貞 (出雲国広瀬藩主)
表示
時代 | 江戸時代中期 |
---|---|
生誕 | 享保18年9月16日(1733年10月23日) |
死没 | 天明5年9月7日(1785年10月9日) |
改名 | 松平近峰→近貞 |
戒名 | 本源院 |
官位 | 従五位下、淡路守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家重、家治 |
藩 | 広瀬藩 |
氏族 | 越前松平家 |
父母 |
父:松平近明、母:千寿院 養父:松平近輝 |
兄弟 | 近輝、近哲、近貞、渡辺信綱正室 |
妻 |
正室:永姫(黒田長邦の娘) 側室:佐野氏 |
子 | 直寛、直義 |
松平 近貞(まつだいら ちかさだ)は、出雲広瀬藩の第6代藩主。直政系越前松平家広瀬藩分家6代。
経歴
[編集]第4代藩主・松平近明の三男。母は側室の千寿院。宝暦7年(1757年)、兄の松平近輝が嗣子無くして死去したため、その跡を継いだ。このとき、諱を近峰から近貞へ改めている。
安永2年(1773年)7月4日、従兄の津山藩主松平長孝の次男直義を養嗣子として迎え、同年11月23日に隠居して家督を譲って隠居し、大内記と号した。天明5年(1785年)9月7日、江戸にて53歳で死去した。隠居後に生まれた実子の直寛は、直義の順養子となった。