佐藤亀八郎
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佐藤亀八郎 さとう かめはちろう | |
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生年月日 | 1871年11月20日 |
出生地 |
日本 仙台県名取郡柳生村 (現・宮城県仙台市太白区) |
没年月日 | 1936年7月15日(64歳没) |
出身校 |
和仏法律学校卒業 (現・法政大学) |
子女 | 長男・佐藤惣之助 |
在任期間 | 1932年9月29日 - 1936年7月15日 |
中田村会議員 | |
在任期間 | 1903年 - 1927年 |
佐藤 亀八郎(さとう かめはちろう、1871年11月20日(明治4年10月8日)[1] - 1936年(昭和11年)7月15日[2][3])は、日本の政治家、実業家。貴族院多額納税者議員、宮城県農工銀行頭取、宮城県販売購買組合理事長。
略歴
[編集]仙台県名取郡柳生村[4](宮城県名取郡中田村を経て現仙台市太白区柳生)で、素封家・佐藤惣十郎の長男として生まれる[5]。1889年(明治22年)宮城農学校[3]、1896年(明治29年)和仏法律学校(現法政大学)を卒業[2]。1903年(明治36年)に家督を相続し[5]、同年、宮城県会議員[5](-1927年(昭和2年))に当選する。その他、中田村会議員、宮城県農会長、同県産米改良協会会頭、帝国農会議員、仙台商業会議所常議員などを務めた[3][4][5]。
1925年(大正14年)に宮城県農工銀行頭取に就任し[2][4]、1930年(昭和5年)に宮城県販売購買組合理事長に就任[2][4]。1932年(昭和7年)に多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日に就任し[6]、在任中の1936年7月に死去[3][7]、66歳。
伝記
[編集]- 佐藤惣之助編『佐藤亀八郎追悼録』佐藤惣之助、1942年。