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佐藤亀八郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
佐藤亀八郎
さとう かめはちろう
生年月日 1871年11月20日
出生地 日本の旗 日本 仙台県名取郡柳生村
(現・宮城県仙台市太白区
没年月日 (1936-07-15) 1936年7月15日(64歳没)
出身校 和仏法律学校卒業
(現・法政大学
子女 長男・佐藤惣之助

在任期間 1932年9月29日 - 1936年7月15日

中田村会議員

在任期間 1903年 - 1927年
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佐藤 亀八郎(さとう かめはちろう、1871年11月20日明治4年10月8日[1] - 1936年昭和11年)7月15日[2][3])は、日本の政治家、実業家。貴族院多額納税者議員宮城県農工銀行頭取、宮城県販売購買組合理事長。

略歴

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仙台県名取郡柳生村[4]宮城県名取郡中田村を経て現仙台市太白区柳生)で、素封家・佐藤惣十郎の長男として生まれる[5]1889年(明治22年)宮城農学校[3]1896年(明治29年)和仏法律学校(現法政大学)を卒業[2]1903年(明治36年)に家督を相続し[5]、同年、宮城県会議員[5](-1927年(昭和2年))に当選する。その他、中田村会議員、宮城県農会長、同県産米改良協会会頭、帝国農会議員、仙台商業会議所常議員などを務めた[3][4][5]

1925年大正14年)に宮城県農工銀行頭取に就任し[2][4]1930年(昭和5年)に宮城県販売購買組合理事長に就任[2][4]1932年(昭和7年)に多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日に就任し[6]、在任中の1936年7月に死去[3][7]、66歳。

伝記

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  • 佐藤惣之助編『佐藤亀八郎追悼録』佐藤惣之助、1942年。

親族

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脚注

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  1. ^ 『全国貴族院多額納税者議員互選人名総覧』銀行信託通信社出版部、1932年、p.115。
  2. ^ a b c d 『日本人名大辞典』866頁。
  3. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』200頁。
  4. ^ a b c d 『宮城県百科事典』419頁。
  5. ^ a b c d 『財界二千五百人集』604頁。
  6. ^ 『官報』第1727号、昭和7年9月30日。
  7. ^ 『官報』第2863号、昭和11年7月18日。
  8. ^ 「佐藤惣之助」『宮城県百科事典』421頁。

参考文献

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  • 『財界二千五百人集』財界二千五百人集編纂部、1934年。
  • 『宮城県百科事典』河北新報社、1982年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年。
  • 『飛翔 2013年2月号』仙台商工会議所