佐藤敏郎
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佐藤 敏郎(さとう としろう、1853年3月2日(嘉永6年1月23日[1])- 1912年(明治45年)6月19日[2])は、明治時代の政治家。衆議院議員(1期)。
経歴
[編集]出羽国由利郡の矢島藩領内(秋田県[2][3]由利郡矢島町[1]を経て現由利本荘市矢島町)で平治衛門の二男[1]として生まれる。矢島藩校・日新堂で学んだ[1]。1874年(明治7年)上京し、慶應義塾に入る[3]。のち秋田県会議員に当選し、常置委員となり、副議長、議事課長を歴任した[3]。ほか、秋田県文書、地方、財務各課長を歴任した[2]。
1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では秋田県第3区から出馬し当選[2]。衆議院議員を1期務めた[2]。在任中は弥生倶楽部に所属した[2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 木戸照陽 編『日本帝国国会議員正伝』田中宋栄堂、1890年 。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年 。
- 『秋田人名大事典(第二版)』秋田魁新報社、2000年。