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佐藤継成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

佐藤 継成(さとう つぐなり、元亀元年(1570年) - 寛永11年4月3日1634年4月30日))は、戦国時代江戸時代の武士、旗本寄合席井深佐藤氏初代。通称・勘右衛門、与兵衛。法名祖光[1]美濃国加茂郡加治田村出身。父は佐藤堅忠。妻は佐藤忠能の娘、後妻に遠山筑前守の娘、一柳五郎四郎の娘[2]。子に佐藤成次、佐藤信成、佐藤吉成、娘(保田宗雪の妻)、娘(柘植宗次の妻)。

生涯

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関ヶ原の戦いの後より徳川家康に仕え、慶長15年(1610年)9月25日に美濃国加茂郡において1000石を領する。大坂の役(大坂の陣)にも従い、その後に、徳川秀忠に仕えた。

元和3年(1617年)5月26日、2190石を加増され、美濃国加茂郡のほか大和国十市郡摂津国武庫郡島下郡近江国高島郡内において3190石を領した[2]

寛永8年(1631年)6月20日に日光山御宮造営奉行、7月2日に普請奉行に就任。10月23日に駿府町奉行に転じ、寛永11年(1634年)4月3日に駿府において死去。享年65[2]。墓は静岡県静岡市葵区伝馬町の宝泰寺にある。法名は普覺院殿性岳祖光居士。

知行所

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  • 美濃国 加茂郡 伊深村 1300石
  • 摂津国 武庫郡 守部村 511石9升1合309・西武庫村 192石1斗6升4合993・常吉村 14石3斗9升
  • 摂津国 島下郡 奈良村 120石
  • 大和国 十市郡 西宮村 100石2斗7升9合999・新木村 189石4斗4升9合997・豊田村 438石5斗3升8合605・中村 293石6斗7升8合986
  • 近江国 高島郡 深溝村 216石

逸話・子孫

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  • 佐藤氏系譜にて「女 伊深佐藤紀伊守堅忠ノ嫡男継成ノ室」と記載がある[3]

書籍

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  • 静岡戦国武将墓巡り―家康ゆかりの武将たち 単行本 – 2011/12 岩堀 元樹 (著) ISBN 978-4-938138-93-6

参考文献

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  • 『美濃加茂市史 通史編』 第一章 幕藩体制の確立と美濃加茂地方 佐藤氏の知行地と系譜 p324~p327 美濃加茂市 1980年
  • 『高島郡誌』 第二編 第五章 往古時代 第一節 領主 佐藤知行所 p606~p608 滋賀県高島郡教育会 昭和2年
  • 寛政重修諸家譜
  • 佐藤氏系譜

関連項目

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脚注

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  1. ^ 富加町史 1伊深佐藤氏222-223頁
  2. ^ a b c 寛政重修諸家譜 巻第八百三十四
  3. ^ 富加町史 佐藤氏系譜 209頁

外部リンク

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