佐賀市立金立小学校
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佐賀市立金立小学校 | |
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2022年10月撮影 | |
北緯33度18分32秒 東経130度18分10秒 / 北緯33.30882度 東経130.30269度座標: 北緯33度18分32秒 東経130度18分10秒 / 北緯33.30882度 東経130.30269度 | |
過去の名称 |
高等科併置 尋常恵廸小学校 金立尋常小学校 金立尋常高等小学校 金立村国民学校 金立村立金立小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
併合学校 | 千布小学校 |
設立年月日 | 1877年(明治10年)[1] |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B141220100143 |
所在地 | 〒849-0905 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
佐賀市立金立小学校(さがしりつ きんりゅうしょうがっこう)は、佐賀県佐賀市金立町大字千布にある市立の小学校。
概要
[編集]- 歴史
- 1877年(明治10年)創立[1][2]。数回の改組・改称を経て、現校名になったのは1954年(昭和29年)。2022年(令和4年)には創立145周年を迎えた。
- 校章
- 左右に広がる稲穂を中央で結び、中央に校名の頭文字「金」を配している。
- 校歌
- 1964年(昭和39年)制定。作詞は中島哀浪、作曲は陶山聡による。歌詞は3番まであり、1番の歌詞中に校名の「金立」が、2番の歌詞中に「学校」が、3番の歌詞中に「金立小学校」が登場する。
- 通学区域
- 佐賀市のうち、「金立町(大字金立3435~3436番地、3439番地、3462~3590番地(大小野)を除く」が続く地域。中学校区は佐賀市立金泉中学校[3]。
沿革
[編集]- 1873年(明治6年)- 金立、千布の2村に各独立の小学校を設立。
- 1877年(明治10年)- 創立。
- 1887年(明治20年)[4] - 小学校2校(金立・千布)を統合の上、「尋常恵廸[5]小学校」を設立。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、佐賀郡3村(金立・薬師丸・千布)が合併の上、金立村が発足。
- 1890年(明治23年)- 七ヶ村組合立高等春日小学校が春日村に創立され、尋常科を修了し、高等科への進学を希望する児童を収容。
- 1892年(明治25年)4月 - 金立・久保泉二ヶ村学校組合立となり、「金立尋常小学校」と改称。
- 1908年(明治41年)4月 - 改正小学校令により、尋常科(義務教育)が4年制から6年制に改められる。尋常科5年を新設。
- 1909年(明治42年)4月 - 尋常科6年を新設。
- 1913年(大正2年)
- 1939年(昭和14年)- 現在地に教室を新築したことを皮切りに、松原地区から現在地への移転を開始。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行により「金立村国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める。松原地区からの移転が完了(松原地区の跡地には「金立小学校跡」を表す碑が建立されている)。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革が行われる(六・三制の実施)。
- 1954年(昭和29年)10月1日 - 市町村合併により、「佐賀市立金立小学校」(現校名)・「佐賀市立金立中学校」となる。
- 1960年(昭和35年)
- 4月 - 統合により、金立中学校が閉校。ただし中学統合校舎が完成するまでの間、「西校舎」として存続[6]。
- この年 - 佐賀整肢学園の開園に伴い、分教室を設置。
- 1962年(昭和37年)
- 3月 - 金泉中学校の統合校舎の完成により、東西校舎は廃止される。そのうち、西校舎が金立小学校に移管される。
- この年 - 完全給食を開始。
- 1964年(昭和39年)3月1日 - 校歌を制定。
- 1967年(昭和42年)- 標準服を制定。
- 1972年(昭和47年)- 体育館が完成。
- 1977年(昭和52年)- 創立100周年記念式典を挙行。
- 1979年(昭和54年)- 佐賀県立金立養護学校との交流教育を開始。
- 1980年(昭和55年)- 新校舎が完成。
- 2012年(平成24年)- 新体育館が完成。
- 2017年(平成29年)- 創立140周年記念式典を挙行[7]。
交通
[編集]- 最寄りの鉄道駅
- 最寄りのバス停留所
- 佐賀市営バス 金立線「千布」停留所
- 最寄りの幹線道路
- 佐賀県道48号佐賀外環状線「金立小学校前」交差点・佐賀県道31号佐賀川久保鳥栖線「千布北」交差点
周辺
[編集]脚注
[編集]- ^ a b 『角川日本地名大辞典 41 佐賀県』263-264頁。
- ^ 公式サイトでは1873年(明治6年)創立と記してあるが、創立100周年(1977年(昭和52年))は1877年(明治10年)を基準に数えられている。『佐賀市史 第3巻 (近代編 明治期) (PDF) 」(1978年(昭和53年)9月30日, 佐賀市)』p.156~p.158によると、1874年(明治7年)の時点で金立小学の記録がある。『日本帝国文部省年報 第5(明治10年) 』p.752によると、金立小学校は1875年(明治8年)創立と記されている。
- ^ 佐賀市立小・中学校通学区域一覧(平成31年4月現在) (PDF) - 佐賀市ウェブサイト
- ^ 1886年(明治19年)とも。
- ^ 「恵廸」の読みは「けいてき」。
- ^ この時、久保泉中学校との統合により、佐賀市立金泉中学校(校名は「金」立と久保「泉」から1文字ずつ取り、組み合わされた)が新設された。なお、旧久保泉中校舎は「東校舎」として存続。
- ^ 「児童230人飛躍誓う 金立小創立140周年で式典」 - 佐賀新聞, 2017年(平成29年)11月22日
- ^ “金立神社のクスノキ”. 佐賀市. 2023年5月7日閲覧。
- ^ “佐賀市立金立公民館”. つながるさがし. 2023年5月7日閲覧。
参考資料
[編集]- 「佐賀市史 第3巻 (近代編 明治期) (PDF) 」(1978年(昭和53年)9月30日, 佐賀市)p.139~p.205 二.明治前期の教育 - 佐賀市ウェブサイト
- 「佐賀市史 第3巻 (近代編 明治期) (PDF) 」(1978年(昭和53年)9月30日, 佐賀市)p.744~p.772 十.明治後期の教育と文化 - 佐賀市ウェブサイト