佐野奈津子
獲得メダル | ||
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日本 | ||
柔道 | ||
アジア選手権 | ||
銀 | 1997 マニラ | 66kg級 |
世界ジュニア | ||
銅 | 1992 ブエノスアイレス | 66kg級 |
佐野 奈津子(さの なつこ、1975年1月24日 - )は長崎県出身の日本の柔道家。現役時代は66kg級と70kg級の選手。身長171cm[1]。なお、48kg級で活躍していた長井淳子とはいとこにあたる[2]。
人物
[編集]三井楽中学から柳川高校へ進むと、1年の時には早くも先輩の松永真里子や国吉真子らとともに、金鷲旗での優勝に貢献した[3]。新設されたインターハイ女子団体戦決勝の夙川学院高校戦では1年生ながら代表戦に出場して、同じく1年生の吉田早希と対戦するが判定で敗れて2位に終わった。全国高校選手権の66kg級では優勝を飾った。2年の時には金鷲旗で2連覇を果たした。インターハイの団体戦では予選リーグで夙川学院高校と同じブロックに入ってしまったこともあって、得失点差で決勝トーナメントに進めなかった。強化選手選考会では決勝で筑波大学3年の大石愛子に敗れたが2位となった。全国高校選手権では2連覇を果たした。3年の金鷲旗では2年後輩となる超高校級の1年生の阿武教子らとともに活躍して3連覇を達成した[1]。インターハイの団体戦でも優勝を成し遂げた。しかし、世界ジュニアでは3位にとどまった[1]。
1993年には筑波大学へ進学すると、1年の時に東アジア大会で3位となった[4]。その後はケガなどの影響もあってしばらく結果を残せずにいた。4年の時には全国女子体重別で3位になると、福岡国際で2位、フランス国際でも3位に入るなど復調してきた[1]。
1997年には塩谷建設の所属となると、選抜体重別では決勝まで進むも、住友海上の木本奈美に敗れて世界選手権代表にはなれなかった[1]。アジア選手権でも2位にとどまった。福岡国際の70kg級では3位だった。1999年1月の福岡国際では優勝を飾った。12月の福岡国際では3位だった。2000年の選抜体重別では3位にとどまりシドニーオリンピック代表にはなれなかった[1]。
引退後は美容師の国家資格を得た。その後結婚して末廣姓となり、大分県国東市で夫とともに漁師をしている[5][6]。
主な戦績
[編集]66kg級での戦績
- 1990年 - 金鷲旗 優勝
- 1990年 - インターハイ 団体戦 2位
- 1991年 - 全国高校選手権 優勝
- 1991年 - 金鷲旗 優勝
- 1991年 - ドイツジュニア国際 優勝
- 1991年 - 強化選手選考会 2位
- 1992年 - 全国高校選手権 優勝
- 1992年 - イギリス国際 優勝
- 1992年 - 金鷲旗 優勝
- 1992年 - インターハイ 団体戦 優勝
- 1992年 - ポーランドジュニア国際 優勝
- 1992年 - 世界ジュニア 3位
- 1992年 - 強化選手選考会 3位
- 1993年 - 東アジア大会 3位
- 1995年 - 全日本学生柔道優勝大会 3位
- 1996年 - 全国女子体重別 3位
- 1996年 - 福岡国際 2位
- 1997年 - フランス国際 3位
- 1997年 - 選抜体重別 2位
- 1997年 - アジア選手権 2位
70kg級での戦績
- 1997年 - 福岡国際 3位
- 1998年 - 全国女子体重別 3位
- 1999年1月 - 福岡国際 優勝
- 1999年 - フランス国際 5位
- 1999年12月 - 福岡国際 3位
- 2000年 - オーストリア国際 2位
- 2000年 - 選抜体重別 3位
(出典[1]、JudoInside.com)。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 「平成11年度後期全日本強化選手名鑑」近代柔道 ベースボールマガジン社、2000年2月号
- ^ 「ZOOM IN 素顔 長井淳子」近代柔道 ベースボールマガジン社、1992年11月号
- ^ 学科・クラブ紹介 運動部 柔道部
- ^ 卒業生 - 筑波大学柔道部
- ^ 1億人の大質問!?笑ってコラえて!桜満開SP
- ^ 【女子柔道振興委員会】JJ VoiceNo.51 末廣奈津子さん
外部リンク
[編集]- 佐野奈津子 - JudoInside.com のプロフィール