余自信
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余 自信(よ じしん、名は自進とも、生没年不詳)は、百済の王族、官吏。官位は佐平。故国の滅亡に伴い、白村江の戦いの後に倭国(日本)へ亡命した。
『日本書紀』によれば、斉明天皇6年(660年)7月、百済の滅亡に際し中部(ちゅうほう)の久麻怒利城(くまのりのさし)あるいは都々岐留山(つつきるのむれ)に拠って新羅と戦い、その功績によって「佐平自進」と称された[1]。白村江の戦いで敗北した天智天皇2年(663年)9月24日(甲戌)に木素貴子、谷那晋首、憶礼福留ら百済の民と倭の船師達と共に弖礼城に至り、翌日倭国へ向けて出航した。天智天皇8年(669年)、同じく佐平の鬼室集斯含む男女700人あまりとで近江国蒲生郡へ移住し、天智天皇10年(671年)1月に大錦下の冠位を授けられた[2]。
脚注
[編集]- ^ 『日本書紀』巻第二十六、斉明天皇9月5日条
- ^ “余自信(よ じしん)とは - コトバンク”. 2017年5月20日閲覧。
- ^ “新撰姓氏錄 しんせんしょうじろく”. 2017年5月20日閲覧。 “右京 諸蕃 百濟 高野 造 百濟國人佐平余自信之後也。”