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余自信

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

余 自信(よ じしん、名は自進とも、生没年不詳)は、百済王族官吏。官位は佐平。故国の滅亡に伴い、白村江の戦いの後に倭国日本)へ亡命した。

日本書紀』によれば、斉明天皇6年(660年)7月、百済の滅亡に際し中部(ちゅうほう)の久麻怒利城(くまのりのさし)あるいは都々岐留山(つつきるのむれ)に拠って新羅と戦い、その功績によって「佐平自進」と称された[1]。白村江の戦いで敗北した天智天皇2年(663年)9月24日(甲戌)に木素貴子谷那晋首憶礼福留ら百済の民と倭の船師達と共に弖礼城に至り、翌日倭国へ向けて出航した。天智天皇8年(669年)、同じく佐平の鬼室集斯含む男女700人あまりとで近江国蒲生郡へ移住し、天智天皇10年(671年)1月に大錦下の冠位を授けられた[2]

新撰姓氏録』によると、高野造の祖先とされる[3]

脚注

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  1. ^ 『日本書紀』巻第二十六、斉明天皇9月5日条
  2. ^ 余自信(よ じしん)とは - コトバンク”. 2017年5月20日閲覧。
  3. ^ 新撰姓氏錄 しんせんしょうじろく”. 2017年5月20日閲覧。 “右京 諸蕃 百濟 高野 造 百濟國人佐平余自信之後也。”

参考文献

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外部リンク

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