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佛土寺 (伊賀市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
佛土寺
所在地 三重県伊賀市東高倉3444
位置 北緯34度47分33.3秒 東経136度06分38.8秒 / 北緯34.792583度 東経136.110778度 / 34.792583; 136.110778座標: 北緯34度47分33.3秒 東経136度06分38.8秒 / 北緯34.792583度 東経136.110778度 / 34.792583; 136.110778
山号 平野山
宗派 真言宗豊山派
本尊 阿弥陀如来
創建年 承安2年(1172年)
開基 不明
札所等 三重四国八十八箇所 34番札所 伊賀四国八十八箇所 69番札所
法人番号 1190005005867 ウィキデータを編集
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佛土寺(ぶっとじ)は、三重県伊賀市にある、真言宗豊山派の仏教寺院。山号は平野山(ひらのさん)、院号は金蓮院(こんれんいん)。本尊阿弥陀如来

歴史

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本尊阿弥陀如来坐像は、胎内銘から 承安2年(1172年)12月29日、伊賀氏、渡会氏、多氏等により造立されたことが分かっており、このことから当寺の創建は、本尊が安置された承安2年ではないかと考えられる。

また別の伝承では、建長5年(1253年藤原道家の家領処分状案に、「伊賀国仏土院」と記されており、当初は京都東福寺末寺であったという[1]

天正の兵火によって堂宇を焼失しているが、本尊及び脇侍の日光菩薩月光菩薩は寺の下にある阿弥陀池という名の池に隠して、焼失を免れたといわれている。その後再興はままならず、仮本堂に本尊を祀る時代が続き、 大正14年(1924年)に現在の本堂が再建され、今日に至っている。

文化財

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重要文化財

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  • 木造阿弥陀如来及両脇侍像(3躯) 大正5年(1916年)8月17日指定(両脇侍は平成5年1月20日追加指定)
中尊阿弥陀如来像の像内に承安2年(1172年)の銘がある。像高は中尊が132.1cm、左脇侍像が168.7cm、右脇侍像が171.5cm。阿弥陀如来の両脇侍は観音菩薩・勢至菩薩とするのが普通であるが、当寺では日光菩薩、月光菩薩と称されている[2]

三重県指定有形文化財

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  • 仏土寺石造多宝塔(2基) 平成6年(1994年)3月9日指定
大形の石塔で2基並んでおり、東塔は5.7m、西塔は4.62mある[3]
  • 紙本着色十二天画像(1幅)昭和46年(1971年)3月17日指定[4]
  • 仏土寺出土品(水晶製舎利塔1個、陶製壺1個) 昭和60年(1985年)3月27日指定[4]

年中行事

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周辺

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  • 上野城(上野公園)
  • 和銅の道
    • 和銅の道とは、昭和54年(1979年)、国際児童年を記念して、県が「母と子の自然と歴史の散歩道」と名づけて設置した、約8kmのハイキングコースで、伊賀上野駅を起点に、佛土寺、桃山式建築で重要文化財の高倉神社[5]、国の史跡に指定されている廃補陀落寺の町石(町石としては日本最古とされる)[6]などを巡るコース[7]

アクセス

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脚注

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  1. ^ 三重県生活環境部観光公園課監修『三重県 ふるさとの散歩道』1985年、第2版、240頁。
  2. ^ 三重県教育委員会 守ろう!活かそう!文化財 木造阿弥陀如来及両脇侍像2010年2月22日閲覧。
  3. ^ 三重県教育委員会 守ろう!活かそう!文化財 仏土寺石造多宝塔2010年2月22日閲覧。
  4. ^ a b 三重県教育委員会 守ろう!活かそう!文化財2010年2月22日閲覧。
  5. ^ 三重県教育委員会 守ろう!活かそう!文化財 高倉神社 2010年2月19日閲覧。
  6. ^ 三重県教育委員会 守ろう!活かそう!文化財 廃補陀落寺町石 廃補陀落寺町石2010年2月19日閲覧。
  7. ^ 三重フィールド研究会編『三重県のかくれた名所』三重県良書出版会、1986年、166 - 170頁。

参考文献

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  • 滝本昭二『三重四国八十八ヵ所霊場』三重四国八十八ヵ所霊場会、86 - 87頁。
  • 三重県生活環境部観光公園課監修『三重県 ふるさとの散歩道』1985年、第2版、240頁。
  • 三重フィールド研究会編『三重県のかくれた名所』三重県良書出版会、1986年、166 - 170頁。

関連項目

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外部リンク

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