依田昌兮
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依田 昌兮(よだ[1]/ゆだ[2] しょうけい[2]/まさや[2]/まさみ[3]、文久元年7月13日[4](1861年8月23日) - 昭和3年(1928年)9月4日)は、大日本帝国陸軍少将。熊本市長。
経歴
[編集]肥後国飽託郡本荘村(現在の熊本県熊本市)出身。1883年(明治16年)12月25日、陸軍士官学校(旧6期)を卒業し、同日、歩兵少尉に任官[4][5]。1890年(明治23年)から1894年(明治27年)までの4年間ドイツに留学[4]し、帰国後、日清戦争に第2軍参謀として活動した。1901年(明治34年)オーストリア公使館付武官となり[4]、帰国後は鉄道線区司令官、1904年(明治37年)日露戦争が始まると歩兵第9連隊長を経て、遼東守備軍参謀となった。1906年(明治39年)歩兵大佐[4]、1910年(明治43年)陸軍少将に進んだ[4]。1913年(大正2年)予備役となり[4]、1915年(大正4年)熊本市長に就任した[4]。在職中は熊本監獄移転問題や水道建設問題に苦慮した[4]。1917年(大正6年)熊本市長を退任した。1928年(昭和3年)死去。
栄典
[編集]- 位階
- 1889年(明治22年)7月15日 - 従七位[6]
- 1904年(明治37年)4月29日 - 正六位[7]
- 1907年(明治40年)2月12日 - 従五位[8]
- 1911年(明治44年)2月10日 - 正五位[9]
- 勲章
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第3巻、歴代知事編纂会、1983年
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2000年
公職 | ||
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先代 山田珠一 |
熊本市長 第5代:1915年-1917年 |
次代 佐柳藤太 |