信達神社
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信達神社 | |
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所在地 | 大阪府泉南市信達金熊寺7951 |
位置 | 北緯34度20分21.9秒 東経135度17分17.0秒 / 北緯34.339417度 東経135.288056度座標: 北緯34度20分21.9秒 東経135度17分17.0秒 / 北緯34.339417度 東経135.288056度 |
主祭神 |
神倭磐毘古命 金山彦命 伊邪那美命 |
社格等 | 旧村社 |
本殿の様式 | 五間社流造 |
別名 |
金熊寺権現 金熊寺大権現宮 |
地図 |
信達神社(しんだちじんじゃ)は、大阪府泉南市信達金熊寺[1]にある神社。旧社格は村社。隣接する金熊寺とともに大阪みどりの百選に選定されている[2]。
祭神
[編集]歴史
[編集]樽井の海岸に神武天皇の像が漂着し、それを里人が引き上げて樽井の地に祀ったのが起源とされる。
天武天皇10年(682年)に、役行者が夢のお告げによって土中より金銅仏を得、自らも木仏を彫り上げて堂を建立して像をそこに安置した。その際、役行者はその堂の北側にあった当社に金峯・熊野の両神を勧請し建立した堂の鎮守社とすると、その堂の名称を当社の祭神にちなんで金熊寺としたという。以降、当社は神仏習合もあって金熊寺大権現宮と呼ばれるようになった。
天正5年(1577年)に織田信長による雑賀攻めの兵火に遭って社殿は焼失したが、この地の豪族で当社の神主であった矢野和泉守家次の尽力により、正保4年(1647年)に本殿が再建されている。
1868年(明治元年)の神仏分離により当社は金熊寺から独立し、名称を信達神社と改め[3][4]、後に村社に列せられている。