倉吉市立上小鴨小学校
表示
倉吉市立上小鴨小学校 | |
---|---|
北緯35度23分32秒 東経133度46分55秒 / 北緯35.392306度 東経133.782056度座標: 北緯35度23分32秒 東経133度46分55秒 / 北緯35.392306度 東経133.782056度 | |
過去の名称 |
石塚学校 小鴨小学校若土支校 鴨河内小学校 小鴨小学校鴨河内分校 鴨河内簡易小学校 上小鴨尋常小学校 北鴨尋常小学校 大鴨尋常高等小学校 上小鴨尋常高等小学校 上小鴨国民学校 上小鴨村立上小鴨小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 倉吉市 |
校訓 | 清く さとしく たくましく |
設立年月日 | 1890年5月14日 |
創立記念日 | 5月14日[1] |
閉校年月日 | 2024年3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
分校 | 広瀬分校(2020年閉校) |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B131210000520 |
所在地 | 〒682-0847 |
鳥取県倉吉市福山30番地 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
倉吉市立上小鴨小学校(くらよししりつ かみおがもしょうがっこう)は、かつて鳥取県倉吉市福山にあった公立小学校。
沿革
[編集]- 1873年(明治6年)5月 - 石塚学校設立。
- 1875年(明治8年)11月 - 合併により小鴨小学校。
- 1876年(明治9年)春 - 若土支校を開設。
- 1877年(明治10年) - 若土支校が独立し、鴨河内小学校となる。
- 1883年(明治16年)月 - 小鴨小学校の分校となる。
- 1886年(明治19年)4月 - 鴨河内分校は再び独立して鴨河内簡易小学校となる。
- 1890年(明治23年)5月14日 - 小鴨尋常小学校を分離して新たに上小鴨尋常小学校を創設。創立記念日となる[2]。
- 1891年(明治24年)
- 5月21日 - 広瀬分教場建設。
- 9月6日 - 鴨河内簡易小学校廃止。
- 1892年(明治25年)1月5日 - 北鴨尋常小学校と改称。
- 1919年(大正8年)3月31日 - 大鴨尋常小学校に高等科併設し、大鴨尋常高等小学校と改称。
- 1924年(大正13年)10月 - 上小鴨尋常高等小学校と改称。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により上小鴨国民学校と改称。
- 1945年(昭和20年)6月11日 - 神戸市池田国民学校100名集団疎開。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革によりと改称。
- 1951年(昭和26年)5月15日 - 校歌制定。(作詞:山田克忠、作曲:江本登喜雄、編曲:牧野晋)
- 1953年(昭和28年)10月1日 - 町村合併により倉吉市発足に伴い、倉吉市立上小鴨小学校と改称。
- 1963年(昭和38年)5月8日 - 倉吉市内小学校で初のプール竣工。
- 1990年(平成2年)5月13日 - 創立100周年記念事業記念式と校庭拡張竣工式が行われる。
- 1991年(平成3年)5月19日 - 広瀬分校の創立100周年記念式が行われる。
- 2015年(平成27年)3月24日 - 広瀬分校休校。
- 2020年(令和2年)3月8日 - 広瀬分校閉校式。
- 2024年(令和6年)
通学区域
[編集]- 蔵内、上古川、石塚、耳、鴨河内、福山、広瀬[4]
進学先中学校
[編集]広瀬分校
[編集]倉吉市広瀬567-2に配置していた[5]。病院・養護施設併設の物を除くと県内唯一の僻地常設分校であったが、2015年に休校し、2020年閉校。
交通アクセス
[編集]- 日交バス関金線、関金・山口線「福山」バス停下車。
参考文献
[編集]脚注
[編集]- ^ 正確には1890年(明治23年)5月14日。年間行事等には記載なし。
- ^ 学校紹介 学校の沿革 - ウェイバックマシン(2021年12月19日アーカイブ分)
- ^ “134年の歴史に幕 上小鴨小で閉校式 学校や地域に感謝”. 日本海新聞 (2024年3月27日). 2024年4月11日閲覧。
- ^ a b c “小・中学校通学区域”. 倉吉市. 2023年6月2日閲覧。
- ^ “倉吉市立上小鴨小学校 広瀬分校 閉校”. ファイナルアクセス. 2021年12月20日閲覧。