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倉島富次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
倉島 富次郎
生誕 1877年4月28日
日本の旗 日本 長野県
死没 不明
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1898年 - 1928年
最終階級 陸軍少将
除隊後 信濃招魂社社司
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倉島 富次郎(くらしま とみじろう、1877年明治10年)4月28日[1][2] - 没年不明[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将功四級[3]

経歴・人物

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長野県小県郡本原村(現・上田市真田町本原)出身[2]1898年(明治31年)陸軍士官学校第10期卒業[1]

1922年大正11年)2月に麻布連隊区司令官を経て、同年4月に陸軍歩兵大佐に昇進[3]。その後、1923年(大正12年)8月に歩兵第69連隊長、1925年(大正14年)5月に富山連隊区司令部附、同年8月に第9師団司令部附・金沢医科大学服務を経て、1927年(昭和2年)3月に陸軍少将・歩兵第4旅団長に補任。翌年の1928年(昭和3年)8月10日に待命、同年8月29日に予備役に編入した[3]

退役後は、神職に転じ、信濃招魂社社司などを務めた[2]1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]

栄典

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脚注

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  1. ^ a b c 『日本陸軍将官辞典』281頁。
  2. ^ a b c 帝国秘密探偵社 1943, 長野9頁.
  3. ^ a b c 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』154頁。
  4. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」54頁。
  5. ^ 『官報』第5587号「叙任及辞令」1902年2月21日。

参考文献

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