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倉敷市立南浦小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
倉敷市立南浦小学校
地図北緯34度29分54秒 東経133度36分46秒 / 北緯34.498444度 東経133.612806度 / 34.498444; 133.612806座標: 北緯34度29分54秒 東経133度36分46秒 / 北緯34.498444度 東経133.612806度 / 34.498444; 133.612806
過去の名称 南浦小学校
浅口郡第3学区尋常南浦小学校
黒崎尋常小学校分校
南浦尋常小学校
黒崎尋常高等小学校西校舎
黒崎国民学校
黒崎村立黒崎小学校
黒崎村立南浦小学校
黒崎町立南浦小学校
玉島市立南浦小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 倉敷市
理念 人物第一 勉強第一 健康第一
豊かな心をもち、たくましく生きる児童の育成[1]
設立年月日 1873年(明治6年)4月[2]
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B133210000760 ウィキデータを編集
所在地 713-8126
外部リンク www.kurashiki-oky.ed.jp/nanpo-e/ ウィキデータを編集
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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倉敷市立南浦小学校(くらしきしりつ なんぽしょうがっこう)は、岡山県倉敷市玉島の西南端に位置する公立小学校。かつて1955年度の時点で297人[3][注釈 1]在籍していた児童数が2024年3月の時点で同月の卒業生を含めて4人[5][6]となるまでに減少し、同月末をもって休校している[7]

沿革

[編集]

《主要な出典:[2]

  • 1873年明治06年)4月 - 浅口郡黒崎村の海蔵寺に南浦小学校創立。
  • 1887年(明治20年)4月 - 浅口郡第3学区尋常南浦小学校と改称。
  • 1890年(明治23年)4月 - 一村一校の制度が布かれたため[4]、佐見小学校(現・倉敷市立沙美小学校)などとともに黒崎尋常小学校分校と改称。
  • 1891年(明治24年)6月 - 海蔵寺の東側に校舎を新築移転。
  • 1893年(明治26年) - 小学校令の実施に伴い、本村[注釈 2]・南浦・佐見の各校と尋常小学校が分離[4]
    • 9月 - 南浦尋常小学校と改称。
  • 1900年(明治33年)4月 - 黒崎高等小学校が開設される[9][注釈 3]
  • 1908年(明治41年)9月 - 現在地に校舎を新築移転[9][3]
  • 1927年昭和02年)4月 - 各校が浅口郡黒崎村黒崎尋常高等小学校に統合され、本校は同校の西校舎となる[注釈 4]
  • 1941年(昭和16年)4月 - 国民学校令により、浅口郡黒崎村黒崎国民学校と改称。
  • 1947年(昭和22年)4月 - 学制改革により、黒崎村立黒崎小学校と改称。
  • 1948年(昭和23年)
    • 3月 - 黒崎小学校が閉鎖[3]
    • 4月 - 黒崎小学校が解散して4校に分離し、本校は黒崎村立南浦小学校と改称。
  • 1951年(昭和26年)1月1日 - 町制施行により黒崎町が発足。黒崎町立南浦小学校と改称。
  • 1953年(昭和28年)4月1日 - 黒崎町の玉島市編入により、玉島市立南浦小学校と改称。当時の所在地の表記:岡山県玉島市黒崎町8402番地[10]
  • 1967年(昭和42年)4月1日 - 玉島市が倉敷市(旧)児島市と合併して倉敷市が発足。倉敷市立南浦小学校と改称。
  • 1972年(昭和47年)3月 - 鉄筋3階建新校舎が落成。
  • 1973年(昭和48年) - 創立100周年。
  • 2009年平成21年)4月 - 倉敷市立南浦幼稚園の閉園により、同園の用地・園舎を南浦小学校に移管。
  • 2015年(平成27年)11月 - 耐震化工事完了。
  • 2023年令和05年)3月25日 - 創立150周年記念式典を挙行[11][12]
  • 2024年(令和06年)
    • 3月29日 - 児童数の減少に伴い2023年度末をもって休校となるにあたり、休校セレモニーを行う[13]
    • 4月1日 - 休校に入る[7]。前年度末における在籍児童[注釈 5]は沙美小学校に編入[5]

アクセス

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通学区域が隣接している学校

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脚注

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注釈

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  1. ^ なお、出典の『倉敷市学校教育百年史』にある児童数の変遷の中で、1935年度(昭和10年度)時点の人数が1188人とあるのは統合された黒崎尋常高等小学校全体をあわせたもの(他の支分校分を比較参照[4])。
  2. ^ 大字黒崎本村に設置されていた[8]
  3. ^ 1902年(明治35年)に沙美に新築移転した後、1909年(明治42年)に廃校となる[4]。同年、沙美尋常高等小学校が設置される。
  4. ^ 南浦尋常小学校は廃校となる[3]。黒崎村内の残る桃源{出典では「屋守」と表記)・本村・沙美の3校も黒崎尋常高等小学校に統合されて、それぞれ同校の北・東・南の各校舎となる[4]
  5. ^ 卒業生1人を除く在籍児童数は3人。

出典

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  1. ^ ズームアップSchool! 第337回 倉敷市立南浦小学校」『教育時報』通巻第881号、岡山県教育委員会、2023年2月、20頁。 
  2. ^ a b 学校紹介 - 学校の沿革”. 倉敷市立南浦小学校. 2024年4月22日閲覧。
  3. ^ a b c d 倉敷市学校教育百年史編集委員会 編『倉敷市学校教育百年史』倉敷市教育委員会、1975年3月、380頁。NDLJP:12114779/203 
  4. ^ a b c d e 『倉敷市学校教育百年史』, p. 378, 倉敷市立沙美小学校.
  5. ^ a b 「たった1人の卒業生」倉敷市の南浦小学校 創立150周年の学校は休校に【岡山】」『RSK山陽放送』2024年3月19日。オリジナルの2024年3月24日時点におけるアーカイブ。
  6. ^ 令和5年度倉敷市立小学校 児童数・学級数”. 倉敷市. 2023年12月5日時点のオリジナルよりアーカイブ2024年4月30日閲覧。
  7. ^ a b おしらせ”. 倉敷市立南浦小学校. 2024年4月29日時点のオリジナルよりアーカイブ2024年4月30日閲覧。 “令和5年度末をもって、休校しています”
  8. ^ 『倉敷市学校教育百年史』, p. 379, 倉敷市立玉島南小学校.
  9. ^ a b 岡山県浅口郡役所 編『浅口郡誌』浅口郡役所、1925年12月、巻末資料頁。NDLJP:980731/450 
  10. ^ 文化研究社編集部 編『全国学校名鑑』(昭和42年版)文化研究社、1967年2月、440頁。NDLJP:3043692/583 
  11. ^ 令和4年度行事予定”. 倉敷市立南浦小学校. 2023年12月5日時点のオリジナルよりアーカイブ2024年4月30日閲覧。
  12. ^ 南浦小学校創立150周年記念式典(倉敷市市長室)”. 倉敷市. 2023年12月5日時点のオリジナルよりアーカイブ2024年4月30日閲覧。
  13. ^ 児童、住民ら地域シンボルに別れ 倉敷・南浦小で休校セレモニー」『山陽新聞デジタル』2024年3月29日。オリジナルの2024年3月30日時点におけるアーカイブ。

関連項目

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外部リンク

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