偽ピョートル
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ピョートル Пётр | |
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皇帝 | |
在位 | 1606年 - 1607年 |
死去 |
1607年7月 |
偽ピョートル(にせピョートル、? - 1607年10月)は、ロシア・ツァーリ国でリューリク朝断絶後の大動乱期に即位した皇帝である(在位:1606年 - 1607年)。当初はイレイコ・ムウロメツ(ロシア語: Илейко Муромец)を称した。本名はイリヤ・イヴァンコヴィッチ・コロヴィン(Илья Иванович Коровин)だったと考えられる。
生涯
[編集]リューリク朝最後の皇帝であるフョードル1世の息子と僭称した人物である。ただしフョードル1世に息子がいたとは史料上確認できず(1592年に生まれた娘・フェオドーシヤしか実子は確認されていない)、完全な架空人物を僭称したものであった[1]。
偽ピョートルはヴァシーリー4世に対して反乱を起こすが、ミハイル・スコピン=シュイスキーによって鎮圧された。起死回生を図ってコサックの首長であるイヴァン・ボロトニコフと結託して新たな反乱を起こすもまたも鎮圧され、1607年10月に処刑された。
脚注
[編集]- ^ 彼の以前・以後に登場した皇族僭称者の偽ドミトリー1世(在位:1605年-1606年)や偽ドミトリー2世、偽ドミトリー3世はいずれも、フョードル1世の異母弟であり1591年に謎の死を遂げたドミトリー皇子を自称した。