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傲慢

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

傲慢(ごうまん)は、他人を侮り、思い上がった態度をとること。

キリスト教

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キリスト教では傲慢 (pride) は七つの大罪の一つに数えられる。また、旧約聖書の『箴言』に「高ぶりは滅びにさきだち、誇る心は倒れにさきだつ」(Pride goes before destruction, a haughty spirit before a fall.)という言葉がある。自尊心(或いは虚栄心vanity)は、自分の能力や世のならわしに対する過信(それは、神の恩恵を悟る上でのさまたげとなる)を意味する。

仏教

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煩悩は、2種類に分かれ、無明=三毒=三惑悪見からなる。無明貪欲瞋恚愚痴であり、悪見である。6つ合わせて、六煩悩と、仏教の一派唯識派ではいう。は、仏教では自ら他を比較して軽蔑し、みずからを恃み高ぶることと、戒められている。

は、また主に7種に分かれる。

  1. 過慢:同等に対しては勝れたと、上等には同等と高ぶる。
  2. 慢過慢:勝れた者に対して、逆に自分が勝れたとする。
  3. 我慢:自分の身心を永遠不変のとたのむ。
  4. 増上慢悟りを得ないのに得たとする。
  5. 卑慢:多く勝れた者より、少し劣っているだけのものとする。
  6. 邪慢:がないのにあるものとする。

その他8慢、9慢などの分類がある。

儒教

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儒教では、恭倹が重んじられ、その反対概念である、驕、慢は疎まれる。

パスカル

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ブレーズ・パスカルは、自分の惨めさという本来の状態に無知であると考えた。彼の示す救いの道は、キリスト者としての道に従うこととされた。無信仰者がいかに無為怠惰を克服しても、傲慢に陥ると説いた。

ギリシャ神話

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  • ギリシャ語で、ヒュブリス (hybris)。
  • 他人の権利を侵し、神々を冒涜することで、人間が自己の分限を超えることが、神々の怒りを招くとされ、そこに人間の破滅の一因が求められた。

関連項目

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