光明寺 (東京都港区)

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光明寺
所在地 東京都港区虎ノ門3丁目25−1
位置 北緯35度39分45.7秒 東経139度44分44.5秒 / 北緯35.662694度 東経139.745694度 / 35.662694; 139.745694座標: 北緯35度39分45.7秒 東経139度44分44.5秒 / 北緯35.662694度 東経139.745694度 / 35.662694; 139.745694
山号 梅上山
宗派 浄土真宗本願寺派
本尊 阿弥陀如来
創建年 建暦2年(1212年
開山 了栄
文化財 阿弥陀三尊種子板碑(港区指定文化財)、焼死人の墓(港区指定文化財)
公式サイト 神谷町 光明寺
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光明寺(こうみょうじ)は、東京都港区にある浄土真宗本願寺派寺院。梅の花で有名。徳川家康は光明寺の梅を喜び、3代将軍・家光は「梅上山」の山号を贈り、江戸時代には幕府への新年寺社献上の第1番は光明寺の梅とされていた[1]

歴史[編集]

創建から改称まで[編集]

鎌倉時代はじめの1212年(建暦2年)、天台宗の僧・了栄が、桜田霞ヶ関の地に、真色山・常楽寺(光明寺の旧称)を創建[2]。一説に1250年(建長2年)の創建ともいう。1226年(嘉禄2年)、了栄は親鸞の教化を受けて、浄土真宗に宗旨を改めた。
室町時代の1540年(天文9年)、常楽寺から「光明寺」へ改称。

江戸時代[編集]

江戸時代のはじめの1604年(慶長9年) 、江戸城を造営するため霞ヶ関から現在の場所に移転。
1645年(正保2年)、第3代将軍・徳川家光が光明寺を訪問し、祖父の家康が光明寺の梅を献上され喜んだ故事にちなみ、山号を真色山から「梅上山」(現在の山号)に改めるよう命じた。
1772年(明和9年)、明和の大火で境内へ避難してきた人々が数多く焼死。供養のため「焼死人の墓」を建立(港区指定文化財)。
画僧で漢詩人の雲室は26代目の住職。書家の生方鼎斎の墓もある。

明治から現在まで[編集]

明治維新の廃仏毀釈で仏教と僧侶の地位が失墜するなかで、1880年(明治13年)、富山県出身の石上北天(第29世住職)が光明寺へ入寺した。北天は「建白和尚」とも呼ばれ、廃仏毀釈で低下した仏教の地位向上に尽力した[3]
1945年(昭和20年)東京大空襲により、仮本堂などが全焼[4]。その後、復興。
現在は、伝統仏教の寺院としての活動の他、一般向けの催しとして「法話会」「​仏教講座」「​神谷町オープンテラス」「おあさじ(朝のお勤め)」「テンプル・モーニング(朝掃除の会)」「​お寺の音楽会 誰そ彼[5][6]」「​法律相談」なども行っている[7]。現在の住職は石上和敬(いわがみ わけい)[8]

文化財[編集]

明和の大火死者供養墓
  • 弥陀種子板碑(指定 H27.10.14)[9]
  • 明和の大火死者供養墓(指定 H22.10.27)[10]

交通アクセス[編集]

ギャラリー[編集]

脚注[編集]

  1. ^ VISIT MINATO CITY https://visit-minato-city.tokyo/ja-jp/places/990 閲覧日2024年4月28日
  2. ^ 以下、歴史については、光明寺の公式ホームページの「歴史」の項の記述に基づく。https://www.komyo.net/history 閲覧日2024年4月28日
  3. ^ 飛鳥寛栗『石上北天小伝』(高岡市善興寺、2005年)。平井一雄・村上一博 編『磯部四郎研究』(信山社、2007)p.267
  4. ^ 光明寺公式 https://www.komyo.net/history 閲覧日2024年5月6日
  5. ^ TASOGARECORDS https://www.taso.jp/event 閲覧日2024年5月6日
  6. ^ note https://note.com/pilgry/m/m21e1ea28c4a4 閲覧日2024年5月6日
  7. ^ 光明寺公式 https://www.komyo.net/event および https://www.komyo.net/en (英語版) 閲覧日2024年5月6日
  8. ^ 光明寺公式「僧侶紹介」https://www.komyo.net/monk では「いわがみわけい」だが、武蔵野大学教授(研究者番号 80262054)としては「いわがみ かずのり」。ただし、僧侶としても「かずのり」と名乗ることがある。例「鈴木敏夫ジブリ汗まみれ」2009/02/01 梅上山 光明寺・石上和敬住職がれんが屋へ!  https://www.tfm.co.jp/asemamire/index.php?itemid=17248&catid=168 音声 https://podcasts.tfm.co.jp/podcasts/tokyo/rg/suzuki_vol70.mp3
  9. ^ 港区郷土歴史館公式サイト https://www.minato-rekishi.com/museum/2016/04/112.html 閲覧日2024年4月28日
  10. ^ 港区郷土歴史館公式サイト https://www.minato-rekishi.com/museum/2010/10/97.html 閲覧日2024年4月28日

外部リンク[編集]

関連項目[編集]

  • 市川鶴鳴 墓は光明寺にある。
  • 雲室 画僧、漢詩人で光明寺の二十六世住職。
  • 生方鼎斎 墓は光明寺にある。
  • 松本紹圭 光明寺の僧侶で「未来の住職塾」塾長。
  • 熊谷育美 光明寺で定例ライブを行ったシンガーソングライター。