入来院定経
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 寛政5年7月26日(1793年9月1日) |
死没 | 嘉永4年8月20日(1851年9月15日) |
改名 | 千代五郎(幼名)→定経 |
別名 | 通称:掃部 |
主君 | 島津斉宣→斉興 |
藩 | 薩摩藩 |
氏族 | 重富島津家→入来院氏 |
父母 |
父:島津忠救、母:お道(島津貴澄の娘) 養父:入来院定矩 |
兄弟 | 島津忠貫、久倫、定経 |
妻 | 正室:小笠原長富娘 |
子 | 定極 |
入来院 定経(いりきいん さだつね)は、江戸時代後期の薩摩藩士。薩摩入来領主、入来院氏27代当主。
生涯
[編集]寛政5年(1793年)7月26日、重富島津家の島津周防忠救の三男として生まれる。三男のため島津氏を許されず「勝山氏」を名乗る。寛政12年(1800年)、死去した入来院定矩の養子となり家督を相続する。
文化8年(1811年)、南林寺火消役。文化11年(1814年)、小笠原長富の娘を娶る。文化13年(1816年)、当番頭となる。同年、山田地頭職。
文政2年(1819年)、四番小番頭。文政6年(1823年)、地頭職を辞する。天保7年(1837年)、隠居して家督を嫡男・定極に譲る。
嘉永4年(1851年)8月20日没、享年59。
参考文献
[編集]- 「入来村史」