入来院重治
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 慶安4年(1651年) |
死没 | 天和2年7月6日(1682年8月8日) |
改名 | 又千代(幼名)→重香(初名)→重治 |
別名 | 通称:隼人佐 |
戒名 | 頴脱院殿奇峰宗善大居士 |
主君 | 島津光久 |
藩 | 薩摩藩 |
氏族 | 入来院氏 |
父母 | 父:入来院重頼、母:島津忠恒娘 |
妻 | 正室:島津光久五女(重治の従姉妹にあたる) |
子 |
入来院重堅正室 養子:入来院重堅 |
入来院 重治(いりきいん しげはる)は、江戸時代前期の薩摩藩士。薩摩入来領主、入来院氏19代当主。
生涯
[編集]慶安4年(1651年)、島津氏の家臣・入来院重頼の子として生まれる。万治4年(1661年)、鹿児島城二の丸で元服する。藩主・島津光久が加冠役、宮之城島津家・島津久通が理髪役を務めた。
延宝2年(1674年)、光久の御礼使として江戸に下り、江戸城に登城し、将軍徳川家綱に拝謁する。延宝5年(1677年)、世子・綱貴の御礼使として江戸に下り、江戸城に登城し、将軍徳川家綱に拝謁する。延宝7年(1679年)江戸に下り、番頭役を務め、翌年帰国する。
天和2年(1682年)、病に臥して、7月5日に藩主・光久が館に見舞う。翌7月6日没。享年32。
参考文献
[編集]- 「入来村史」