入江著親
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時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 永禄8年4月14日(1565年5月13日) |
官位 | 加賀守 |
主君 | 大内義隆→義長→毛利元就 |
氏族 | 藤原南家為憲流工藤氏庶流入江氏 |
子 | 就昌、就貫 |
入江 著親(いりえ あきちか)は、戦国時代の武将。長門国の国人で、大内氏、毛利氏家臣。
生涯
[編集]入江氏は長門国大津郡の国人で、元々は駿河国有度郡入江に住したことから入江氏を称した。著親は入江景兼の子孫と伝えられるが、父の名など詳しい出自は不明。
初めは大内氏に仕えたが、弘治元年(1555年)から弘治3年(1557年)にかけての防長経略では毛利元就に味方し、大内義長を追撃して長門国豊浦郡長府勝山の勝山城に在番した。この功により、弘治3年(1557年)7月16日に毛利隆元から長門国大津郡俵山郷の内の諸所で65石の地を加増される[1]。
永禄7年(1564年)12月11日、嫡男の就昌に長門国大津郡深川庄の内の俵山小野村25石・黒川25石・木津内1町[2]、大津郡日置庄の伴田先給20石、安芸国佐東郡北庄の内の17貫500文等の地を譲り、次男の就貫には長門国大津郡深川庄の内の俵山村と木津の15石を譲り渡した[3]。