八上王
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八上王(やかみおう、生没年不詳)は、奈良時代から平安時代初期にかけての皇族・貴族。臣籍降下後の氏姓は山科真人。天智天皇の玄孫で、無位・湯原王の孫、市師王の子とする系図がある[1]。官位は従五位下・内礼正。
経歴
[編集]天平神護3年(767年)称徳天皇が「今、諸王を見ると年老いた者が多い。その中には働きを褒めるべきものや、あるいは朕が心中哀れに思う者がいる。そこで、それぞれの状態に従って位階を定める」という詔を発し、これにより篠島王・広川王・調使王・鴨王・壱志濃王・田中王・礒部王らとともに无位から従五位下に直叙される[2]。
それからしばらく動静が知られていないが、延暦元年(782年)内礼正に任じられると、延暦5年(786年)諸陵頭、延暦10年(791年)には内礼正に再任されるなど、桓武朝前半に京官を歴任した。
桓武朝末の延暦24年(804年)山科真人の氏姓を与えられて臣籍降下している。
官歴
[編集]『六国史』による。
- 天平神護3年(767年) 正月18日:従五位下
- 延暦元年(782年) 8月25日:内礼正
- 延暦5年(786年) 10月8日:諸陵頭
- 延暦10年(791年) 3月21日:内礼正(再任)
- 延暦24年(804年) 2月15日:臣籍降下(山科真人)