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八並武治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
八並 武治
やつなみ たけじ
八並武治
生年月日 (1877-12-04) 1877年12月4日
出生地 日本の旗 日本 大分県下毛郡鶴居村
没年月日 (1947-07-10) 1947年7月10日(69歳没)
出身校 東京帝国大学
所属政党 憲政会
立憲民政党
日本進歩党
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八並 武治(やつなみ たけじ、1877年明治10年)12月4日[1][注釈 1] - 1947年昭和22年)7月10日[1][2])は、明治末から昭和前期の政治家弁護士憲政会立憲民政党日本進歩党[2]に所属。衆議院議員を通算7期務めた。

経歴

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大分県下毛郡、のちの鶴居村[3][4](現中津市)で、八並甚六の四男として生まれた[5]第二高等学校[3]から東京帝国大学法科大学(独法)に進み、1909年(明治42年)に卒業[2][3][5]。卒業後は八王子に弁護士事務所を開業し[3]1915年大正4年)から翌年まで箕浦勝人逓信大臣の秘書官を務め[1][3]憲政会に入党した[1]

1920年(大正9年)の第14回衆議院議員総選挙で当選。以後、7回の当選回数を数えた[1][2]。その間、加藤高明内閣第1次若槻内閣司法参与官第2次若槻内閣齋藤内閣で司法政務次官を歴任した[1][2]。その他、法制審議会委員、司法制度調査会委員、司法省行政委員、憲政会幹事長、立憲民政党総務、大政翼賛会本部参与、翼賛政治会評議員、政調司法兼務委員などを務めた[1][2][4]

国政選挙歴

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脚注

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注釈

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  1. ^ 『翼賛議員銘鑑』429頁では明治12年12月、『大衆人事録 第12版 東京篇』685頁では明治12年12月4日。

出典

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  1. ^ a b c d e f g 『日本人名大事典 現代』792頁。
  2. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』663頁。
  3. ^ a b c d e 『代議士詳覧 大正13年5月当選』196-197頁。
  4. ^ a b 『翼賛議員銘鑑』429頁。
  5. ^ a b 『大衆人事録 第12版 東京篇』685頁。
  6. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第14回』2頁。
  7. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第15回』2頁。
  8. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第16回』3頁。
  9. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第17回』2頁。
  10. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第18回』2頁。
  11. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第19回』3頁。
  12. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第20回』2頁。
  13. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第21回』169頁。

参考文献

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  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第14回』衆議院事務局、1924年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第15回』衆議院事務局、1926年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第16回』衆議院事務局、1928年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第17回』衆議院事務局、1930年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第18回』衆議院事務局、1932年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第19回』衆議院事務局、1936年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第20回』衆議院事務局、1937年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第21回』衆議院事務局、1943年。
  • 広幡明男『代議士詳覧 大正13年5月当選』泰山堂、1924年。 
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第12版 東京篇』帝国秘密探偵社ほか、1938年。
  • 『翼賛議員銘鑑』議会新聞社、1943年。
  • 『日本人名大事典 現代』平凡社、1979年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』1990年。