八尾善四郎
表示
八尾 善四郎(やお ぜんしろう、1845年9月11日(弘化2年8月10日)[1] - 1918年[2])は、日本の実業家。神戸市会議員[2]。兵庫運河社長[1]。駒ヶ林魚類定市場取締役[1]。族籍は兵庫県士族[1]。兵庫運河を完成させた人物として知られる。
来歴
[編集]淡路津名郡岩屋村の長谷川八右衛門の次男として生まれ、5歳のときに兵庫西尻池の旧家八尾家の養子となる[3]。船頭から身を起こして[4]魚問屋として成功を収め、和歌山や四国まで事業を拡大させた[2]。
1894年に安田善次郎、武井守正、谷勘兵衛らの出資の下、兵庫運河株式会社を設立し、新川運河を完成させたまま中断していた兵庫運河の建設工事を引き継ぎ、1898年に完成させた[2]。
人物
[編集]兵庫運河高松橋西詰(神戸市長田区東尻池新町)には兵庫運河建設の功労者・八尾善四郎の像がある。日露戦争で軍事物資の輸送に功績があり、没後の1919年に立てられた銅像は第二次世界大戦中に出された金属供出令の適用を免れた[2]。
住所は神戸西尻池村[1]。
家族・親族
[編集]- 八尾家
- 妻・よし(1849年 - ?、兵庫、佐野佐吉右衛門の二女)[1][5]
- 長男・善治郎(1885年 - ?、兵庫運河、駒ヶ林魚類市場各取締役)[5] - 住所は神戸駒ヶ林村字井戸町[5]、林田区駒ヶ林三丁目[6]。
- 二男・菊宇(1891年 - ?、分家たけ方へ入る)[1]
- 長女・たけ(1868年 - ?、分家)[1]
- 二女・むめ(1870年 - ?、夫の惣次郎に従いその子女と共に分家)[1]
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i 『人事興信録 第4版』や11頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年3月3日閲覧。
- ^ a b c d e 田辺(編著) 2010, p. 62.
- ^ 文書名 八尾家文書、神戸市文書館公式サイト。
- ^ 神戸新聞(編著) 2002, p. 17.
- ^ a b c 『人事興信録 第5版』や1頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年7月22日閲覧。
- ^ 丸十市場の紛議円満に手打ち 榎並氏ら調停見事に功を奏し七条件を附して解決神戸新聞(1934年4月7日)、神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 市場(7-143)。2022年7月23日閲覧。
参考文献
[編集]- 『八尾家文書』。
- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 山内青渓編『兵庫県人物列伝』(1914年)。
- 『新修神戸市史 歴史編Ⅳ 近代・現代』(1994年)。
- 奥村孝編著『神戸市政に関する判決集』(1986年)。
- 田辺眞人(編著)『神戸人物史 モニュメントウォークのすすめ』神戸新聞総合出版センター、2010年。ISBN 978-4-343-00564-9。
- 神戸新聞 編『神戸ゆかりの50人 これだけは知っておきたい 歴史と観光の散策ガイド』神戸新聞総合出版センター〈神戸新聞MOOK〉、2002年。ISBN 978-4-343-00214-3。