八幡大学短期大学部
表示
八幡大学短期大学部 | |
---|---|
大学設置/創立 | 1953年 |
廃止 | 1973年 |
学校種別 | 私立 |
設置者 | 学校法人八幡大学 |
本部所在地 | 福岡県北九州市八幡区枝光町6[注釈 1] |
学部 | 商科第二部 |
八幡大学短期大学部(やはただいがくたんきだいがくぶ)は、福岡県北九州市八幡区枝光町6[注釈 1]に本部を置いていた日本の私立大学である。1953年に設置され、1973年に廃止された。大学の略称は八幡短大(やはたたんだい)。
概要
[編集]大学全体
[編集]- 福岡県北九州市八幡区[注 1]に所在した日本の私立短期大学で、設置主体は学校法人八幡大学。
- 1953年に開学した[1]当初から、学科数及び入学定員に増減なし。
- 1970年度の入学生を最後に[注釈 2]、短期大学としての使命を終える[注釈 3]
教育および研究
[編集]- 八幡大学法経学部に類似した教育内容となっており、商業・経済・法律学等に関する専門科目を置いていた。
学風および特色
[編集]- 勤労の傍らで学業に勤しむ人々に大学教育を開放すべく、当初より夜間部が置かれていた[6]。
沿革
[編集]基礎データ
[編集]所在地
[編集]- 福岡県北九州市八幡区枝光町6[注釈 1]
象徴
[編集]教育および研究
[編集]組織
[編集]学科
[編集]- 商科第二部 入学定員120名[注 6]
専攻科
[編集]- なし
別科
[編集]- なし
大学関係者と組織
[編集]大学関係者組織
[編集]- 八幡大学短期大学部の同窓会は「橘会」と称する。
大学関係者一覧
[編集]大学関係者
[編集]歴代学長
出身者
[編集]- 合力栄 後八幡大学学長
対外関係
[編集]系列校
[編集]卒業後の進路について
[編集]就職について
[編集]- 在学生の多くは勤労学生だったこともあり現職を継続する人もいれば、一般企業や官公庁などへの就職者もいた[16]。
編入学・進学実績
[編集]- 八幡大学への編入学制度があった。
関連項目
[編集]注釈
[編集]注釈グループ
[編集]- ^ a b 現在、八幡大学の後身である九州国際大学の本部は福岡県北九州市八幡東区平野1-6-1にある。
- ^ a b 昭和46年度より学生の募集を停止[2][3]。なお、右記資料では募集停止されていることを意味する()が記載されていない[4]。
- ^ a b 出典[5]。
- ^ a b うち女4
補足
[編集]出典
[編集]- ^ 福岡県教育史より。
- ^ 短期大学一覧 昭和47年度 (短期大学資料)より。
- ^ 福岡県教育要覧 昭和45年度版より。
- ^ 短期大学教育 (29)より。
- ^ 短期大学一覧 昭和48年度 (短期大学資料)より。
- ^ 働きながら大学を出るには (受験新書)より。
- ^ 学校法人一覧 昭和38年版より。
- ^ 全国大学大観 昭和30年版より。
- ^ 短期大学一覧 昭和28年度 (短期大学資料)より。
- ^ 文部省'54, p. 1382.
- ^ 文部省'68, p. 45.
- ^ 文部省'70, p. 47.
- ^ 文部省'71, p. 47.
- ^ 文部省'72, p. 49.
- ^ 廣潤社'1969.10, p. 246.
- ^ a b 梧桐書院'1970.8.
- ^ 短期大学教育 (28)より。
参考文献
[編集]全国学校総覧
[編集]- 文部省調査局統計課『全国学校総覧 昭和30年版』青葉書房 。
- 文部省調査局統計課『全国学校総覧 昭和44年版』東京教育研究所 。
- 文部省『全国学校総覧 昭和46年版』東京教育研究所 。
- 文部省『全国学校総覧 昭和47年版』東京教育研究所 。
- 文部省『全国学校総覧 昭和48年版』東京教育研究所 。
短期大学案内(梧桐書院)
[編集]- 梧桐書院編集部『全国短期大学案内. 昭和46年版』梧桐書院 。
全国短期大学受験要覧(廣潤社)
[編集]- 広潤社編集部『全国短期大学受験要覧 昭和45年版』廣潤社 。