八戸町
表示
はちのへまち 八戸町 | |
---|---|
廃止日 | 1929年5月1日 |
廃止理由 |
新設合併 八戸町、小中野町、湊町、鮫村 → 八戸市 |
現在の自治体 | 八戸市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 東北地方 |
都道府県 | 青森県 |
郡 | 三戸郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
隣接自治体 | 小中野町、大館村、是川村、館村、下長苗代村 |
八戸町役場 | |
所在地 | 青森県三戸郡八戸町大字番町10番地[1] |
座標 | 北緯40度30分41秒 東経141度29分27秒 / 北緯40.51147度 東経141.49089度座標: 北緯40度30分41秒 東経141度29分27秒 / 北緯40.51147度 東経141.49089度 |
特記事項 | 1901年から1929年までの八戸町の行政区 |
ウィキプロジェクト |
八戸町(はちのへまち)は、明治22年(1889年)から昭和4年(1929年)まで青森県三戸郡に存在した町の一つ。現在の八戸市中心街周辺に当たる地域にあった。
なお、後に長者村(ちょうじゃむら)と合併しているが、ここにまとめて記述する。
歴史
[編集]成立時の区域
[編集]八戸町は明治22年(1889年)の町村制施行により、旧八戸城下と柏崎村の区域、長者村は田向村、類家村、糠塚村、中居林村、石手洗村の区域で誕生した。1901年(明治34年)に八戸町と長者村が合併しているが、合併の理由として「隣接の地であること」、「人情風俗が似ていること」などが挙げられている。
なお、町村制施行前の大区小区制では、行政区域が旧八戸城下が青森県第9大区2小区、柏崎村と長者村の区域が第9大区4小区に分類されていた。
沿革
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制により三戸郡八戸町となる
- 1901年(明治34年)7月1日 - 三戸郡長者村を合併
- 1924年(大正13年)5月21日 - 八戸大火発生、町の大部分が焼失。
- 1929年(昭和4年)5月1日 - 三戸郡八戸町・小中野町・湊町・鮫村が合併し、八戸市誕生。
八戸市制への移行
[編集]大正10年(1921年)頃より合併の動きが起こり始めた。背景には当時鮫地区の修築がなされ、一帯を漁港から商業港への転換を図る必要性があったことにある。特に鮫村と小中野町が積極的であったのに対して、八戸町では合併に対して賛否が分かれていた。神田重雄が反対が多かった奥南派の説得に乗り出し、市制施行へとこぎつけた。
行政
[編集]八戸町役場は現在の青森銀行八戸支店付近にあった。
歴代町長
[編集]代 | 氏名 | |
---|---|---|
1 | 稲城篤実 | 1889年 - 1893年 |
2 | 遠山景三 | 1893年 - 1907年 |
3,5 | 北村益 | 1907年 - 1913年、1918年 - 1923年 |
4 | 奈須川光宝 | 1913年 - 1918年 |
6 | 関春茂 | 1923年 - 1929年(初代長者村長も歴任) |
行政施設
[編集]八戸町役場以外で、八戸町時代の行政関連施設は以下の通りである。
経済
[編集]八戸町はその区域が現在の中心街地域にとどまっていたため、当初は酒造や醤油業、小売業が主だった。明治10年代時点で八戸町内で最も多い民業がせんべい屋で140戸あった。次いで荒物店91戸、大工84戸、呉服店67戸と続く。
その後商業の発展により様々な会社が設立された。
産業
[編集]金融
[編集]- 第百五十国立銀行 - 明治12年創立。本店は八戸町八日町。
- 階上銀行 - 明治15年3月創立。本店は八戸町三日町。
- 泉山銀行 - 明治30年11月創立。本店は八戸町十三日町。
- 八戸商業銀行 - 明治30年8月創立。本店は八戸町三日町。
郵便
[編集]八戸町三日町、常泉下にそれぞれ郵便局があった。
交通機関
[編集]- 八戸-鮫間乗合自動車 - 八戸自動車 による運行
- 八戸水力電気会社軌道 - 八戸水力電気による八戸町-小中野町間の路面電車(実現に至らず)
娯楽施設
[編集]参考文献
[編集]- 『明治・大正の八戸市街図と三戸郡誌』八戸市、2002
- 『はちのへ市史研究第2号』八戸市、2004
- 『新編八戸市史 近現代資料編1』八戸市、2007
脚注
[編集]- ^ 『新編八戸市史』近現代資料編Ⅰ442頁「第六章まちづくりと八戸市誕生 第三節八戸市誕生 4八戸市誕生への行政上の手続」の「参考資料~211」より。