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八戸町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
はちのへまち
八戸町
廃止日 1929年5月1日
廃止理由 新設合併
八戸町小中野町湊町鮫村八戸市
現在の自治体 八戸市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 東北地方
都道府県 青森県
三戸郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
隣接自治体 小中野町、大館村是川村館村下長苗代村
八戸町役場
所在地 青森県三戸郡八戸町大字番町10番地[1]
座標 北緯40度30分41秒 東経141度29分27秒 / 北緯40.51147度 東経141.49089度 / 40.51147; 141.49089座標: 北緯40度30分41秒 東経141度29分27秒 / 北緯40.51147度 東経141.49089度 / 40.51147; 141.49089
特記事項 1901年から1929年までの八戸町の行政区
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八戸町(はちのへまち)は、明治22年(1889年)から昭和4年(1929年)まで青森県三戸郡に存在したの一つ。現在の八戸市中心街周辺に当たる地域にあった。

なお、後に長者村(ちょうじゃむら)と合併しているが、ここにまとめて記述する。

歴史

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成立時の区域

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八戸町は明治22年(1889年)の町村制施行により、旧八戸城下と柏崎村の区域、長者村は田向村、類家村、糠塚村、中居林村、石手洗村の区域で誕生した。1901年(明治34年)に八戸町と長者村が合併しているが、合併の理由として「隣接の地であること」、「人情風俗が似ていること」などが挙げられている。

なお、町村制施行前の大区小区制では、行政区域が旧八戸城下が青森県第9大区2小区、柏崎村と長者村の区域が第9大区4小区に分類されていた。

沿革

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  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制により三戸郡八戸町となる
  • 1901年(明治34年)7月1日 - 三戸郡長者村を合併
  • 1924年(大正13年)5月21日 - 八戸大火発生、町の大部分が焼失。
  • 1929年(昭和4年)5月1日 - 三戸郡八戸町・小中野町・湊町・鮫村が合併し、八戸市誕生。

八戸市制への移行

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大正10年(1921年)頃より合併の動きが起こり始めた。背景には当時鮫地区の修築がなされ、一帯を漁港から商業港への転換を図る必要性があったことにある。特に鮫村と小中野町が積極的であったのに対して、八戸町では合併に対して賛否が分かれていた。神田重雄が反対が多かった奥南派の説得に乗り出し、市制施行へとこぎつけた。

行政

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八戸町役場は現在の青森銀行八戸支店付近にあった。

歴代町長

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氏名
1 稲城篤実 1889年 - 1893年
2 遠山景三 1893年 - 1907年
3,5 北村益 1907年 - 1913年1918年 - 1923年
4 奈須川光宝 1913年 - 1918年
6 関春茂 1923年 - 1929年(初代長者村長も歴任)

行政施設

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八戸町役場以外で、八戸町時代の行政関連施設は以下の通りである。

経済

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八戸町はその区域が現在の中心街地域にとどまっていたため、当初は酒造や醤油業、小売業が主だった。明治10年代時点で八戸町内で最も多い民業がせんべい屋で140戸あった。次いで荒物店91戸、大工84戸、呉服店67戸と続く。

その後商業の発展により様々な会社が設立された。

産業

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金融

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郵便

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八戸町三日町、常泉下にそれぞれ郵便局があった。

交通機関

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娯楽施設

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参考文献

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  • 『明治・大正の八戸市街図と三戸郡誌』八戸市、2002
  • 『はちのへ市史研究第2号』八戸市、2004
  • 『新編八戸市史 近現代資料編1』八戸市、2007

脚注

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  1. ^ 『新編八戸市史』近現代資料編Ⅰ442頁「第六章まちづくりと八戸市誕生 第三節八戸市誕生 4八戸市誕生への行政上の手続」の「参考資料~211」より。

関連項目

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