八木進
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基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 |
カロリン諸島ポナペ島 (現: ミクロネシア連邦 ポンペイ州)[1] |
生年月日 | 1924年9月17日 |
没年月日 | 1945年8月15日満20歳没 |
身長 体重 |
177 cm kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 捕手[2] |
プロ入り | 1942年 |
初出場 | 1942年 |
最終出場 | 1944年8月27日[3] |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
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八木 進(やぎ すすむ、1924年9月17日[4] -1945年8月15日)は、カロリン諸島ポナペ島出身のプロ野球選手。ポジションは捕手。
来歴・人物
[編集]カロリン諸島ポナペ島出身(当時は日本の委任統治領だった)[1]。島で働く父親を残し、日本(横浜)で生活した[1]。関東学院中(現・関東学院中学校高等学校)在学中は、甲子園出場こそ無いものの、飯田徳治(浅野綜合中),小松原博喜(横浜商業)と並んで、横浜中等球界の三羽烏 と呼ばれていた[5]。身長は五尺八寸五分(177cm)と当時としては大柄だったと伝わる[5][6]。
1942年に南海軍へ入団。主力選手が次々と応召されていく中、正捕手としてチームを支えた(南海ホークス戦前最後の正捕手と呼ばれている[2])。別所昭が1943年5月26日の大和軍戦(神戸市民運動場野球場)でノーヒットノーランを達成した時、マスクを被っていたのが八木だった[2][7][8]。
1944年に全35試合出場を果たすが、同年シーズン終了後に応召され、北支で戦死した(没年月日、死没場所は不明)[1]。享年20。東京ドーム敷地内にある鎮魂の碑に、彼の名前が刻まれている。
正捕手として認められながらも、わずか2年のプロ活動であった[9]。
辛口評論で知られた、野球評論家の大井廣介が自著で、「おとなしいがうまい捕手だった」と八木を評価している[1]。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1942 | 南海 近畿日本 |
79 | 238 | 210 | 6 | 31 | 3 | 0 | 0 | 34 | 4 | 2 | 2 | 4 | -- | 23 | -- | 1 | 33 | -- | .148 | .235 | .162 | .397 |
1943 | 62 | 242 | 218 | 14 | 32 | 3 | 1 | 0 | 37 | 8 | 0 | 1 | 5 | -- | 19 | -- | 0 | 18 | -- | .147 | .215 | .170 | .385 | |
1944 | 35 | 144 | 118 | 8 | 25 | 1 | 0 | 1 | 29 | 7 | 1 | 3 | 4 | -- | 22 | -- | 0 | 4 | -- | .212 | .336 | .246 | .582 | |
通算:3年 | 176 | 624 | 546 | 28 | 88 | 7 | 1 | 1 | 100 | 19 | 3 | 6 | 13 | -- | 64 | -- | 1 | 55 | -- | .161 | .250 | .183 | .433 |
- 各年度の太字はリーグ最高
- 南海(南海軍)は、1944年6月1日より近畿日本(近畿日本軍)に球団名を変更
背番号
[編集]- 25 (1942年 - 1943年)[10]
- 1944年は全球団で背番号制度を廃止。
脚注
[編集]- ^ a b c d e 職業野球!実況中継 15年 タイガースvs金鯱 4回戦コメント欄に八木に関する記述がある。
- ^ a b c 八木 進|クラシックSTATS鑑賞 南海017関西学院中出身で甲子園出場ありとあるが、関東学院中出身で甲子園出場はないの誤りである。
- ^ 1944年近畿日本スタメンアーカイブ
- ^ 鎮魂の碑(野球殿堂博物館)
- ^ a b 野球界、1953年6月号。大和球士筆『日本プロ野球球団史 南海ホークス』より引用。
- ^ プロ野球選手の体格はどう変わったか?|野球史1920年代に生まれた日本人の平均身長・体重は、160cm・55kg。同年代の日本人プロ野球選手の平均身長・体重は、171cm・65kg。
- ^ 1943年南海スタメンアーカイブ
- ^ 2019年9月6日に千賀滉大が達成するまで、ホークス史上唯一のノーヒットノーランであった。当該試合でマスクを被った甲斐拓也と八木の2名のみが、ノーヒットノーランに立ち会っているホークス捕手ということになる。
- ^ “特攻隊員として戦死した2人の選手や景浦將… 戦後74年、戦火に散ったプロ野球選手”. Full-count. (2019年8月15日) 2020年3月12日閲覧。
- ^ 福岡ソフトバンクホークス 背番号25 - 背番号Maniax