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八束水村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
やつかみそん
八束水村
廃止日 1915年6月1日
廃止理由 新設合併
正条村(初代)、八束水村正条村
現在の自治体 鳥取市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中国地方山陰地方
都道府県 鳥取県
気高郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
隣接自治体 正条村(初代)、青谷町(初代)、日置谷村
八束水村役場
所在地 鳥取県気高郡正条村大字勝見
(正条村八束水村組合役場)
座標 北緯35度31分03秒 東経134度01分25秒 / 北緯35.5175度 東経134.0236度 / 35.5175; 134.0236座標: 北緯35度31分03秒 東経134度01分25秒 / 北緯35.5175度 東経134.0236度 / 35.5175; 134.0236
特記事項 座標は現在の姫路公民館位置
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八束水村(やつかみそん)は、鳥取県気多郡気高郡にあった自治体である。

概要

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現在の鳥取市気高町八束水に相当し、長尾鼻の東の基部の海岸部に位置した。

八束水は当時島根県の管轄だった1877年(明治10年)に誕生した村で、それ以前は姫路村(枝郷に船磯村があり)と姉泊村があった。藩政時代は鳥取藩領の気多郡八幡郷(やわたのごう)に属した[1]

村名は「やつかうみ」の意味で、姉泊から船磯まで延々と続く海ぎわを表したものと考えられる[1]

沿革

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  • 天保5年(1834年) - 姫路村から枝郷の姉泊村が分村する[1]
  • 1877年(明治10年)5月22日 - 姫路村と姉泊村が合併して八束水村となる[2]
  • 1881年(明治14年)9月12日 - 鳥取県再置。
  • 1883年(明治16年)- 山宮村(後の逢坂村大字山宮)に置かれた連合戸長役場の管轄区域になる。
  • 1886年(明治19年)- 所轄の連合戸長役場が勝見村(後の正条村大字勝見)に変更される[3]
  • 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制の施行により、自治体としての気多郡八束水村が発足。大字は編成せず。正条村(初代)との組合役場を同村大字勝見村に設置[1][4]
  • 1896年(明治29年)4月1日 - 郡制の施行により、高草郡・気多郡の区域をもって気高郡が発足し、気高郡八束水村となる。
  • 1915年(大正4年)6月1日 - 正条村と合併し、改めて正条村(2代、後の浜村町)が発足[5]。正条村大字八束水となる[6]

教育

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  • 八束水尋常小学校:1908年(明治41年)10月に正条尋常高等小学校に統合され八束水分教場となる。1922年(大正11年)4月廃止[1]

交通

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鉄道

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脚注

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  1. ^ a b c d e 気高町誌(気高町教育委員会、1977年)
  2. ^ 鳥取県史 近代 第1巻 (総説篇)840頁(鳥取県、1969年)
  3. ^ 「戸長役場位置及諸村所轄替」『官報』1886年4月13日国立国会図書館デジタルコレクション)
  4. ^ 鳥取県改正市町村名及役場区域 明治22年10月改正(横山敬次郎、1889年)
  5. ^ 「村廃置」『官報』1915年5月22日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  6. ^ 「大字存置」『官報』1915年7月6日(国立国会図書館デジタルコレクション)

関連項目

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