六郷政英
表示
時代 | 江戸時代中期 |
---|---|
生誕 | 宝永元年(1704年) |
死没 | 宝暦14年5月14日(1764年6月13日) |
別名 | 監物 |
官位 | 従五位下但馬守 |
藩 | 出羽本荘藩世嗣 |
氏族 | 六郷氏 |
父母 | 六郷政晴 |
兄弟 |
政英、政長、政蔭、玉子、万里、 生駒親賢婚約者[1]、小堀政寧正室ら |
六郷 政英(ろくごう まさふさ)は、江戸時代中期の武士。出羽国本荘藩の世嗣。官位は従五位下・但馬守。
略歴
[編集]宝永元年(1704年)、4代藩主六郷政晴の嫡男として誕生した。
享保元年(1716年)10月22日、8代将軍・徳川吉宗に御目見した。享保3年(1718年)12月、従五位下但馬守に叙任した。内外共に順調に嫡子として扱われていたが、享保11年(1726年)9月26日、病弱を理由に廃嫡された。代わって、政晴の次男の政長が嫡子となり、六郷家の家督を継いだ。
政英は同年11月、本荘に移住した。引退後は「六郷監物」と称した。
脚注
[編集]- ^ 正式婚姻前に病没。