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六郷政英

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
六郷政英
時代 江戸時代中期
生誕 宝永元年(1704年
死没 宝暦14年5月14日1764年6月13日
別名 監物
官位 従五位下但馬守
出羽本荘藩世嗣
氏族 六郷氏
父母 六郷政晴
兄弟 政英政長政蔭、玉子、万里、
生駒親賢婚約者[1]小堀政寧正室ら
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六郷 政英(ろくごう まさふさ)は、江戸時代中期の武士出羽国本荘藩の世嗣。官位従五位下但馬守


略歴

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宝永元年(1704年)、4代藩主六郷政晴の嫡男として誕生した。

享保元年(1716年)10月22日、8代将軍・徳川吉宗御目見した。享保3年(1718年)12月、従五位下但馬守に叙任した。内外共に順調に嫡子として扱われていたが、享保11年(1726年)9月26日、病弱を理由に廃嫡された。代わって、政晴の次男の政長が嫡子となり、六郷家の家督を継いだ。

政英は同年11月、本荘に移住した。引退後は「六郷監物」と称した。

宝暦14年(1764年5月14日、死去。享年61。


脚注

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  1. ^ 正式婚姻前に病没。