六郷政長
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 宝永3年(1706年) |
死没 | 宝暦4年8月5日(1754年9月21日) |
改名 | 長之助(幼名)、政長 |
別名 | 民部(通称) |
戒名 | 瑞林院鳳山玄祥 |
墓所 | 東京都台東区西浅草の万隆寺 |
官位 | 従五位下、丹後守、伊賀守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川吉宗→家重 |
藩 | 出羽国本荘藩主 |
氏族 | 六郷氏 |
父母 | 父:六郷政晴、母:笹瀬氏 |
兄弟 | 政英、政長、政蔭、玉子、万里、生駒親賢婚約者、小堀政寧正室ら |
妻 | 阿部正邦の娘 |
子 |
政展、佐竹義路(出羽久保田藩重臣佐竹東家)継室 養子:政林 |
六郷 政長(ろくごう まさなが)は、江戸時代中期の大名。出羽国本荘藩の第5代藩主。官位は従五位下・丹後守、伊賀守。
略歴
[編集]宝永3年(1706年)、第4代藩主六郷政晴の次男として誕生した。正室は備後国福山藩主阿部正邦の娘。
長兄の政英が病弱を理由として廃嫡されたため、享保11年(1726年)10月2日、次男の政長が嫡子となった。同年10月15日、第8代将軍徳川吉宗に拝謁した。同年12月16日、従五位下・丹後守に叙任された。享保20年(1735年)閏3月2日、政晴の隠居により家督を相続した。同年4月15日、お国入りの許可を得た。
宝暦4年(1754年)8月5日、死去。享年49。長男の政展がまだ幼少であったため、跡を養嗣子の政林(弟政蔭の長男)が継いだ。
系譜
[編集]父母
- 六郷政晴(父)
- 笹瀬氏(母) - 側室
正室
- 阿部正邦の娘
子女
養子
脚注
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