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六郷政長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
六郷政長
時代 江戸時代中期
生誕 宝永3年(1706年
死没 宝暦4年8月5日1754年9月21日
改名 長之助(幼名)、政長
別名 民部(通称
戒名 瑞林院鳳山玄祥
墓所 東京都台東区西浅草の万隆寺
官位 従五位下丹後守伊賀守
幕府 江戸幕府
主君 徳川吉宗家重
出羽国本荘藩
氏族 六郷氏
父母 父:六郷政晴、母:笹瀬氏
兄弟 政英政長政蔭、玉子、万里、生駒親賢婚約者、小堀政寧正室ら
阿部正邦の娘
政展佐竹義路(出羽久保田藩重臣佐竹東家)継室
養子:政林
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六郷 政長(ろくごう まさなが)は、江戸時代中期の大名出羽国本荘藩の第5代藩主。官位従五位下丹後守伊賀守

略歴

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宝永3年(1706年)、第4代藩主六郷政晴の次男として誕生した。正室は備後国福山藩阿部正邦の娘。

長兄の政英が病弱を理由として廃嫡されたため、享保11年(1726年)10月2日、次男の政長が嫡子となった。同年10月15日、第8代将軍徳川吉宗に拝謁した。同年12月16日、従五位下・丹後守に叙任された。享保20年(1735年)閏3月2日、政晴の隠居により家督を相続した。同年4月15日、お国入りの許可を得た。

宝暦4年(1754年)8月5日、死去。享年49。長男の政展がまだ幼少であったため、跡を養嗣子の政林(弟政蔭の長男)が継いだ。

系譜

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父母

正室

子女

養子

脚注

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