内田健二
表示
うちだ けんじ 内田 健二 | |
---|---|
生誕 |
1953年9月8日(71歳) 日本・茨城県土浦市 |
出身校 | 東京造形大学映像学科 |
職業 | アニメーションプロデューサー |
活動期間 | 1976年 - |
代表作 | 『機動戦士Ζガンダム』 |
活動拠点 | サンライズ |
受賞 | 第25回日本映画批評家大賞・アニメ部門功労賞(2016年) |
内田 健二(うちだ けんじ、1953年9月8日 - )は、日本のアニメーションプロデューサー。茨城県土浦市出身。
来歴
[編集]1976年に東京造形大学映像学科[1]卒業後、ビデオ会社に入社してカメラマンとなるが、「面白くない」と退職[1]。その後板前の弟子、弁当屋、鳶職と転職をした[1]後、再びビデオの仕事に戻ろうと思ったが、機材が無く困っていたところ、機材を親切に貸してくれた長浜忠夫に誘われる形で[1]、1978年に日本サンライズ(後のサンライズ→バンダイナムコフィルムワークス)へ入社。
入社当初は演出家を目指していたが、すぐにプロデューサー志望となり、『闘将ダイモス』の制作進行、『重戦機エルガイム』の制作デスクを経て、1985年に『機動戦士Ζガンダム』からプロデューサーに。以後、同社の社員プロデューサーとして1980年代のガンダム作品などサンライズ作品を数多くプロデュース。SDガンダムシリーズやエルドランシリーズなど子供向け作品も幅広く手がけた。
プロデューサーを務めた後は、経営企画室、海外事業部、ライツ事業部本部長、サンライズ子会社のサンライズインタラクティブ社長、サンライズ専務取締役を務めた[2]。
2008年4月、サンライズ4代目代表取締役の吉井孝幸が会長に異動したのに伴い、同社5代目代表取締役社長に就任した[3]。
2014年4月、サンライズ代表取締役会長に就任した[4]。2016年、第25回日本映画批評家大賞・アニメ部門功労賞を受賞[5]。
作品
[編集]テレビアニメ
[編集]- 無敵ロボ トライダーG7(1980 - 1981)制作進行
- 最強ロボ ダイオージャ(1981 - 1982)進行主任
- 戦闘メカ ザブングル(1982 - 1983)制作デスク
- 聖戦士ダンバイン(1983 - 1984)制作デスク
- 重戦機エルガイム(1984 - 1985)制作デスク
- 機動戦士Ζガンダム(1985 - 1986)プロデューサー
- 機動戦士ガンダムΖΖ(1986 - 1987)プロデューサー
- ミスター味っ子(1987 - 1989)プロデューサー
- エルドランシリーズ(1991 - 1994)プロデューサー
- OVERMANキングゲイナー(2002)企画
- THE ビッグオー(2003)プロデューサー
- プラネテス(2003)企画
- ゼーガペイン(2006)企画
- コードギアス 反逆のルルーシュ(2006)企画
- コードギアス 反逆のルルーシュR2(2008)企画
- セイクリッドセブン(2011)企画
劇場アニメ・OVA
[編集]- DEAD HEAT(1987)プロデューサー
- 機動戦士ガンダム 逆襲のシャア(1988)プロデューサー
- 機動戦士SDガンダム(1988 - 1993)プロデューサー
- 機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争(1989)プロデューサー
- 装甲巨神Zナイト(店頭プロモーションビデオ、1991)プロデューサー
- 超劇場版ケロロ軍曹(2006)企画
- 幕末機関説 いろはにほへと(2006 - )企画
- カラフル(2010)企画
- SHORT PEACE(2013)製作
参考文献
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d 『アニメージュ』(徳間書店)1985年8月号、p.107「仕事人別帳」
- ^ 伊藤孝一、小林義寛、公野勉『映画はこうしてつくられる』風塵社、2008年、pp.121-122。内田健二インタビュー。
- ^ 野口智弘「ガンダムシリーズの大手アニメ制作会社サンライズ--新社長に内田健二氏就任」 毎日コミュニケーションズ・マイコミジャーナル 2008年4月30日
- ^ 『サンライズ新社長に宮河恭夫氏、内田健二氏は代表取締役会長に』(アニメ!アニメ!ビズ! 2014年3月20日)
- ^ “批評家大賞アニメ部門で永井豪が最高賞に、功労賞・渡辺宙明を串田アキラが祝福”. 映画ナタリー. (2016年5月25日) 2016年5月25日閲覧。
ビジネス | ||
---|---|---|
先代 吉井孝幸 |
サンライズ社長 第5代:2008年 - 2014年 |
次代 宮河恭夫 |