内田宜人
表示
内田 宜人(うちだ よしと、1926年4月[1] - 2016年[2])は、昭和から平成時代の労働運動家。中学校教師。元東京都教職員組合(都教組)墨田支部長[3]。
経歴
[編集]鳥取県で生まれ、東京で育つ。東京府東京市泰明尋常小学校、東京府立第一中学校卒。1944年第一高等学校の受験に失敗し、鳥取県の国民学校の助教となる。1945年徴兵[1]。
1952年早稲田大学第一文学部仏文科卒業。同年より東京都墨田区の公立中学校教員。1987年定年退職。この間、東京都教職員組合(都教組)墨田支部長、都教組本部執行委員、東京地方労働組合評議会(東京地評)常任幹事、東京都同和教育研究協議会会長、全国同和教育研究協議会副委員長を務め[4][5]、勤評反対闘争[3]、主任制反対闘争、部落解放教育、平和教育などに熱心に取り組んだ[6]。
人物
[編集]- 1957年以来[7]、長年にわたって墨田区教職員組合(墨田教組)の委員長を務めた[3]。
- 東京の勤評闘争を理論と運動の両面で主導した[8]。勤評闘争当時、都教組の中で最年少の支部長だった[3]。
- 60年安保闘争後、東京地評の竹内基浩、由井格らと非日共系左派の活動家を集めて「労働者同盟」を結成、「東京労働戦線連絡会議」に発展させた[9]。
- 「活動家集団 思想運動」が主催するHOWS(本郷文化フォーラムワーカーズスクール)講師[10]。
著書
[編集]- 『教育労働運動の進路』(土曜美術社、1977年)
- 『ある勤評反対闘争史――教育労働運動論への試みと証言』(新泉社、1979年/績文堂出版、2009年)
- 『部署にありし日』(伸樹社、1987年)
- 『戦後の果ての秋――内田宜人歌集』(短歌新聞社、1998年)
- 『「遺聞」市川・船橋戊辰戦争――若き日の江原素六 江戸・船橋・沼津』(崙書房出版、1999年)
- 『戦後より』(績文堂出版、2001年)
- 『雲州三沢紀行』(私家版、2003年)
- 『戦後教育労働運動史論――わたしの日教組光と影』(績文堂出版、2004年)
- 『土屋文明――その昭和史の風景』(績文堂出版、2009年)
脚注
[編集]- ^ a b “「道徳科にどう向き合うか」 大森直樹さんの講演記録” (PDF). 静岡県教職員組合立教育研究所 (2019年). 2020年4月19日閲覧。
- ^ 大森直樹「内田宜人さんを追悼する 後に続く世代への言葉」『思想運動』991号(2016年11月15日号)
- ^ a b c d 〔週刊 本の発見〕『道徳教育と愛国心-「道徳」の教科化にどう向き合うか』 レイバーネット日本
- ^ 戦後教育労働運動史論 / 内田 宜人【著】 紀伊國屋書店ウェブストア
- ^ 私説戦後情念史 / 内田 宜人【著】 紀伊國屋書店ウェブストア
- ^ 『ある勤評反対闘争史』復刻版紹介 レイバーネット日本
- ^ 週刊墨教組 No.1746(2014.11.4) 墨田区教職員組合
- ^ 週刊墨教組 No.1749(2015.1.1) 墨田区教職員組合
- ^ 由井格「六0年安保の闘いを引きずって 生涯を中小労働運動に」ちきゅう座(2010年10月4日)
- ^ “HOWS 講師一覧(順不同)” (PDF). HOWS (2016年). 2020年4月19日閲覧。
関連文献
[編集]- 大森直樹『大震災でわかった学校の大問題――被災地の教室からの提言』小学館(小学館101新書)、2011年
- 大森直樹『道徳教育と愛国心――「道徳」の教科化にどう向き合うか』岩波書店、2018年